連載
ぼくらの遍路は
12(最終回) 関口 尚 Hisashi Sekiguchi

「最近、悲しいことがあった人はいますか」
 花凛は三百人をゆっくりと見渡した。はっと顔を上げる人が数名いた。
「では、悔しかったことがあった人はいますか」
 そう尋ねてから花凛は自ら挙手をしてみせた。数名がぱらぱらと手を挙げた。
「寂しいな、という思いを抱えて毎日を送っている人は?」
 また手が挙がる。
「抱えきれないしんどさで生きていくのがつらいなっていう人は?」
 小さく手を挙げる人がふたりいた。花凛と同い年くらいの男の子と女の子。そのふたりに向かって花凛はうんうんと頷いた。
「わたしは歌えなくなってバンド活動も休止して、つらくてつらくてどうしようもなくなって、また歌えるようにって願いを抱えて、お遍路にやってきたんです。ほら、お遍路って不思議な力にあやかれるイメージがあるでしょう。わたし、なにかにすがりたかったんだよね」
 花凛は言葉を一度きり、再びゆっくりと見渡した。
「でも、わたしがまた歌えるようになったのは、こうして再生できたのは、すがったからじゃないんだよ。わたしは千二百キロを歩いてみてわかったの。もし消えてしまいたいくらいの重い悩みを抱えているなら、もうどうしようもないくらい深い悲しみを抱いているなら、それらの思いよりもさらに途方もなく大きな行いに、自らをゆだねてみるのがいいんだよ。それがわたしの場合はお遍路だったの」
 理詰めではないのだ。とてつもなく大きな行為や行動の中で、体感することでしか見えてこない答えがある。頭の中で考えても処理しきれず、心の器では受け止めきれないなら、お遍路という非日常に飛びこめばいい。空や大地や海や風や植物にこの身を融(と)かしてしまえばいい。
 お遍路は不思議だ。死装束をまとい、非日常を歩き、尋常ではない長い距離の旅に出る。そのルートが円となっているのがまたいい。遠く離れた土地へ行ったきりではない。ぐるぐると巡る。それがさらに途方もなさを募らせる。また、信仰心を持ってやってくる人ならば、お遍路は聖地を巡る旅としてありがたみを感じられるだろうし、お大師様の存在を感じながらの旅は意義深いものになるだろう。つまるところ、お遍路は様々な人の受け皿となるようになっている。どんな人でも歩くことによって自分なりの答えを導き出せるようなシステムになっている。
「だから、もし抱えきれない思いで苦しんでいる人がいたら、お遍路という途方もない旅に自分をゆだねてみることをわたしはお勧めするよ」
 花凛はビールケースを降りた。山西に歩み寄る。花凛が近づくと山西は目をそらした。やさしく語りかける。
「ねえ、K太君のお母さん。わたしといっしょにお遍路をしましょう。ふたりでずっと歩きましょう」
「え」
 山西が顔を上げた。花凛を見つめる目は赤く縁取られている。以前の血眼の状態ではない。たぶん、涙のせいだ。三百人がK太のために歌ったことで心動かされるものがあったのかもしれない。



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〈プロフィール〉
関口 尚(せきぐち・ひさし)
1972年、栃木県生まれ。99年、茨城大学大学院人文科学研究科を修了。
2002年、『プリズムの夏』で第15回小説すばる新人賞を受賞して、作家デビューする。2007年、『空をつかむまで』で第22回坪田譲治文学賞を受賞。
著書に、『君に舞い降りる白』『パコと魔法の絵本』『はとの神様』などがある。
Back number
12(最終回)
11
10