よみもの・連載

吉原べっぴん手控え帳

第一話 金泥の櫛(くし)

島村洋子Yoko Shimamura

 だいたい女郎というのは万事制限されている生活なのでみんな大なり小なり不満がたまっている。
 楽しいことは少なくてつらいことばかりがたくさんある。
 その中で数少ない喜びのひとつがおめかしだった。
 着るものもそうだが簪(かんざし)や帯留などの装飾品は値が張るものから安価なものまでめいめいが自分の身の丈にあった楽しみを見つけている。
 仕事柄、簪や櫛の柄の模様、鼈甲(べっこう)でできているのか塗りはなんなのかなどの細かいところまで清吉は気づく。
 しかしお美弥がなくしたという櫛はどのくらいの値段のものか見当もつかなかった。
 お美弥が言うほどの高級な櫛だったら、誰の頭についていたって自分は必ず記憶に残るはずだという自信もあった。
 いつのまにか戻ってきていたおしのばあも、
「笄と櫛が一対になっていると言っていたねえ。その笄を見せておくれでないかい?」
 そう言ってお美弥の後ろ髪に手を伸ばした。
 笄というのは左右が太く、真ん中が細い棒状のもので、それを横にして髪を巻き付けていくものである。
 花魁が持っているほどの大きなものではないが、髷のように襟足を高く上げないので少し気だるく見え、色気を感じさせる代物である。
「これと対ということは」
 そう言いながら清吉はおしのばあからうけとった笄を陽の光にかざしてみた。
 黒い塗りに金泥で菊が描かれている。
「いや、これはそれほど値段のする品物じゃないよ、お美弥ちゃん。悪いけどさ」
 清吉は困ったように微笑しながら言ったが、お美弥は顔をきっと上げて首を横に何度も振った。
「だって旦那(だんな)が『お美弥は特別に良い働きをしている。うちで一番の売り上げになるのも時間の問題だから期待しているよ。その印にこれを渡すんだからね』と内緒でおくれなすったんですよ。まさかそんな安物の訳はないじゃないですか」
 さっきまでしょげていたのが嘘のように力強い調子でお美弥は言った。
 まるで土左衛門の懐に入っていたのが自分のものだったらよかったのにとでも言わぬばかりであった。
「いや、あんたのものじゃないほうがいいんじゃないのかい、むしろ?」
 そう言いながら清吉は、ではお美弥の櫛はどこに行ったのだろうということと、どうして春日屋の店主である幸兵衛はお美弥にそんなものを渡したのだろう、と考えていた。

プロフィール

島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。

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