よみもの・連載

吉原べっぴん手控え帳

第一話 金泥の櫛(くし)

島村洋子Yoko Shimamura

   五

 春日屋幸兵衛は吉原で一、二を争う大店を張っているがその出自は不明である。
 言葉にわずかな訛(なま)りがあるので、陸奥(むつ)から来たのだろうという話もあるが、逆に九州から来たのではないかという説もある。
 女郎思いで親身に話を聞いてやるという噂ではあるが、一代でまるで龍宮城のように大きい店を経営するに至ったのだからなになにじつは非道であくどい男ではないのかと嫉妬も交じったような話も聞こえてくる。
 幸兵衛は口数が少なくずんぐりとしたからだつきだがなかなか度胸があって力士三人を敵に回し、大立ち回りをしたという話もまことしやかに伝えられていた。
 幸兵衛の店、春日屋には女郎百人がひしめきあっていると言われていたが、その数の正確なところはわからない。
 入ってくる者出て行く者、命を落とす者、そして稀(まれ)に幸せにも落籍(らくせき)されていく者がいるので、幸兵衛にもそのじつはわからない。
 ただいつも心がけているのは、女郎の不満を聞く時は下の者にまかせず、自らがきちんと聞いてやるということである。
 客への不満、朋輩(ほうばい)についての文句など、女郎が恨みに思っていることはいろいろあるが、たいがいのことは半時も聞いてやると皆はじめとは違うすっきりとした顔になり、では今夜も励みますと頭を下げて出て行く。
 それでもなお気持ちのおさまらない者についてはコツがあった。
 なにかちょっとした値段のはる品物を渡すことである。
 それは本当に値段のはるものでなくてもかまわない。
 要するにもらったものが値段が高いと思いこめるものならよいことなのだ。
 どうしてこんな高価なものを自分に? と相手がいぶかしまないように、
「おまえと見込んでこれをずーっと貸しておくから」というような言い方でよいのだ。
 帯留でもいいし、簪でもいい。
 印籠(いんろう)でもいいし、籠(かご)でも人形でもなんでもよいが、やはり女郎は人前に出る仕事なので装飾品が喜ばれる。
 安い物を大量に買うことも考えたのだが、しょせん安物には安物の悲しさがつきまとう。
 女だらけの場所で生活し、遠目とはいえ花魁などの豪華な衣裳を目にしている者たちは自然と目が肥えておいそれとは騙(だま)されない。
 幸兵衛がどうしたものかと悩んでいる時に良い話が向こうから飛び込んできた。
 出入りの小間物屋の伊造(いぞう)が、
「腕の良い職人なんですけどね、女房が重い病の長患いで借金をこさえちゃったんですよ。凝ったものを作り過ぎるので時間がかかってなかなか売れないし、かといって安物を作りたくないしで、いろいろ難しいんでさ」
 つやつや若さに輝いている額をぺろりと撫でながら言ったのだ。
 職人といえどもいろいろな考えがあるのだなあと宙を見上げた幸兵衛は、それならと話を持ちかけたのだった。
「見てのとおりうちは女だらけの商売だから女郎が機嫌よく働いてくれなくちゃ店はうまく回らない。叱るばかりじゃ今時分の娘たちはこちらの言うことを聞きはしない。というわけで、こっちはあの娘たちを励ますための品物をいろいろ渡したりしているんだよ。しかしねえ、まあ数を出すものだからあまり値の張るものは渡せないだろう? こちらの懐具合もあるからさ。かといって誰も欲しがらない安物は渡せないしね。客商売というのもあるし。なにより娘たちは物を見抜くからね」
 そう言った幸兵衛の腹のうちをさすがに商売なのか伊造は、
「みなまでおっしゃいますな」
 と制した。
「手前どもも商人です、おまかせください」
 と言う伊造の言葉に、
「なに? いいものを安く作ってくれるという話かい?」
 幸兵衛は目を輝かせて膝をのりだした。

プロフィール

島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。

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