よみもの・連載

吉原べっぴん手控え帳

第一話 金泥の櫛(くし)

島村洋子Yoko Shimamura

「偽物というとおかしいですが、ひとつだけ本物の鼈甲やら漆塗りの良いものをお買い求めいただいて、それとそっくりなものをたくさんお作りしてお渡しするのはいかがでしょう。ひとつお買い求めになった本物をお嬢様方にお見せになって『これをおまえだけに渡すんだよ』とおっしゃればみなさまご納得いただけるんじゃないでしょうかね。そしてのちほどたくさん作ったもののほうをあらためてお渡しになればよろしいかと」
 くるくるよく動く伊造の目を見ながら幸兵衛はうなずいた。
「とはいえなにせ同じ店にいるんだから皆、比べあいはしないにしてもあの女の持っているものとこれは同じかとかいろいろ気がつくんじゃないのかね」
 幸兵衛は女郎商売のためか女心の機微に詳しい。
 女というものは必ずお互いの持ちものの値踏みをせずにはいられない生き物であるということは痛いほどわかっていた。
「だからそこですよ」
 伊造は舌で口びるをなめなめ言った。
「そこってなんだい」
「『ひとりだけひいきしてることがわかってもいけないので、他の者には似たようなものを渡すがそれは本物ではない。他の者がやきもちを妬(や)かないように内緒にするんだよ。本物はおまえさんに渡したやつだけなんだからね』って言っとけばいいんですよ」
「なるほど」
 伊造の言葉に幸兵衛は感心した。
 これは女郎の手管と同じではないかと。
 本気ではないただの客に、自分はこういう商売だから仕方がないけれど、本当に惚(ほ)れているのはあんただけだ、他の人たちのことは演技だから信じてくれというのと全く同じ理屈である。
「良いことを聞いたわい」
 幸兵衛はうなずき、伊造がすすめる漆塗りの櫛と笄の高価な一対を買い求めた。
 そしてそれとそっくりな偽物を十組作らせる約束をした。
 納品に時間はかかったが、出来は素晴らしく幸兵衛を充分に満足させるものだった。
 並べて見ると偽物は軽いのとほんのわずかにぴかぴかしていたのが気になったが、このぴかぴかを「安物」ととらえる者よりは言葉ひとつで「美しい」ととらえる者のほうが多いだろうと幸兵衛は思った。
 そしてそれは正しい判断だった。
 本物は一組で偽物が三十も買えるほどの値段のひらきがあったが、そんなことがわかる者などまあいない。
 両者を比べて見ながら、案外本物というものはへんな光を出したり、これ見よがしの色気を持たないのかもしれないと幸兵衛は気づいた。
 そういえば花魁もそうである。
 華道も茶道も和歌も三味線も唄も文字も禿の時からの修業で、名人の域に達していながらそれをひけらかすこともない。
 ただ求められれば客の欲求に充分応(こた)えることができる。
 春日屋にはいまふたりの花魁がいた。
 ひとりは一番の売れっ子、一津星(ひとつぼし)である。
 空に輝くいちばん星のように吉原で光り輝く人気者になってほしいと名付けられたのだった。
 すこし目が細くきつい顔だがそれが独特の色気となり、お大尽(だいじん)や名のある旗本などの心を奪っている。
 この女が現れて以来、春日屋は儲(もう)かりはじめたといってよい。
 幸兵衛はことのほか一津星を大切にしていた。

プロフィール

島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。

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