よみもの・連載

吉原べっぴん手控え帳

第一話 金泥の櫛(くし)

島村洋子Yoko Shimamura

   七

 お歯黒どぶで見つかった土左衛門の懐に黒い塗りの櫛が入っていたのはもちろん春日屋の店主である幸兵衛の耳にも届いていた。
 黒の塗りに金泥で菊花をあしらった櫛などいくらでもこの世にはあるのだが、瓦版の挿絵を見て驚いた。
 その構図、意匠はまさしく自分が女郎たちに与えたものと同じだったからである。
 この男は春日屋の客だったのだろうか。
 もしそうだとすると自分が櫛を与えた女郎の誰かがこの土左衛門と恋仲にでもなり、契りの証のつもりでこれを贈りでもしたのだろうか。
 あるいは女郎と金のことか何かで揉(も)めて用心棒の誰かにやられたのか。いやそういうことなら事前に自分の耳に入ってこないわけがない。
 では女郎と心中でもしようとしたのにすんでのところで逃げられて男だけが命を落としたということなのだろうか。
 幸兵衛は考えを巡らせた。
 櫛を渡した女郎の名前をいちいち書きつけてはいなかったが、すべて記憶しているはずだ。
 その数は八人。
 全員がまだ新米に近い女郎である。
 幸兵衛はそれとなく世間話をしながらひとりひとりの櫛を確認することにした。
 ほとんどの娘は櫛を頭につけていたので確かめやすかったが粋(いき)な娘は耳の後ろ、首筋の上側に縦に挿したりもしていた。
 五人まではすぐに確認ができた。
 店の始まるあわただしい時間に主人は何を言っているのだろうとけげんな顔をしている者もあったが、頭のいい娘の中には、
「ああ、このあいだの土左衛門の話ですね。大丈夫ですよ、ここにあります。殺しちゃいません」
 と笑いながら見せてくれる者もあった。
「いや、歳を取るとなんでも気にかかるようになっちまっていけねえや」
 そう言って笑ってごまかした幸兵衛だったが、すべては取り越し苦労のような気もしていた。
 よくある図柄の櫛なので土左衛門が女房への手土産に持っていたのかもしれないからだ。
 しかしそんな中で曖昧な言い訳をしてきた者がふたりいた。
 どちらもかなり見込みがあるからこそ櫛と笄を渡したのだが、気性は良く嘘のない娘たちだった。
 ひとりは大工の娘でお美弥といい、まだ若いというよりは幼い印象すらある娘である。
 もうひとりは梅香という色気のある娘で、これからの春日屋を間違いなく背負っていくだろう人気者のひとりである。
 土左衛門の身元はまだわかっていなかったが、どちらかの客だったのかもしれない。
 よっぽどの上客でない限り幸兵衛は客のことを覚えてはいない。
 次の瓦版に事件の続報が書かれてあったのだが、土左衛門はさる大店の跡取り息子で長いあいだ行方不明だったとか、あるいは流しのコソ泥だとか愚にもつかないような話だった。
 そんな大店の跡取りが春日屋に来たとしたら幸兵衛の耳に入らぬはずはない。
 どこの誰でもいいがとにかくさっさと解決して櫛をなくしたらしい女郎たちが落ち着くことが第一だった。

プロフィール

島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。

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