第一話 金泥の櫛(くし)
島村洋子Yoko Shimamura
昼前のゆったりとした日差しのなか、寝起きの女たちがうろうろし始めた時間に髪結いが何人か入ってくる。
「旦那、ちょいとお話があるとこの亀屋さんが申しております」
忘八(ぼうはち)に呼ばれて幸兵衛は振り向いた。
亀屋といえば髪結いとしては吉原では新興だが腕がいいことで知られていた。
女店主のおしのはおしのばあと呼ばれているがわざと老けた身なりをしているだけでなんのなんの、まだそんなに年ではないと幸兵衛は踏んでいた。
おしのの横には見慣れぬ若い男がいた。
新しい職人が入った挨拶だなと思い、帳場の横の小部屋にふたりを通した。
あらためてまじまじ見ると男はかなりのいい男だった。
誰かに似ているが思い出せない。いま人気の歌舞伎(かぶき)役者かもしれない。
「この者が清吉でございます。先月、湯島から参りまして、私が言うのもなんでございますがなかなかの腕でございます。どうぞご贔屓(ひいき)によろしくお願い申し上げます」
目元の涼しい色男は丁寧に頭を下げた。
幸兵衛はこれは人気が出るだろう、楽しみの少ない女郎にはいいことだと好感を持った。
「あの、この清吉が旦那様に申し上げたいことがあると言いまして」
言いにくそうなおしのの言葉になんだろうと幸兵衛は清吉を見た。
「あの、失礼を申し上げますことをお許し願いたいのですが……」
「なんだい? 気になったことはなんでも聞いてくれるとこちらもありがたいよ」
幸兵衛は言った。
髪結いは髪を触っているうちに女郎と仲良くなるのでいろいろと情報を持っている。
ご法度の引き抜きがありそうだとかあそこで流行り病が蔓延(まんえん)しているとか、役にたつことが多いのだ。
「何人かの女郎がお揃(そろ)いで持っているあの櫛と笄ですが」
幸兵衛はドキリとした。
「あれ、本物ではございませんよね」
清吉と名乗った男は単刀直入に言った。
優男だがなかなか気が強そうだと幸兵衛は思った。
この世界は表に出る人間も裏の人間も勝気でないと成功はしない。
「本物でないとはどういうことかな」
あれが何を指しているのかわからないはずはなかったが幸兵衛はとぼけてみせた。
「髪結いを何年もいたしておりますので、ひとつ良いものを見本にして型を取り、いくつか似たようなものを作ることがあるのは知っております。この春日屋には何人かお揃いのような櫛と笄をした娘さんがいらっしゃると気づいておりまして」
小声だったがそれでも引き下がる様子は見せない。
「ちょいと小耳に挟んだことで恐れいりますが、それがあの土左衛門が懐に抱いていたという櫛と似ているのではないかと思いまして」
そこまでわかっているのかと幸兵衛は驚いた。
誤魔化(ごまか)しようがない。
「何人にお渡しなさったか覚えておられますか?」
「そりゃ覚えているさ」
八人だが中のふたりはよくわからないという返事だったとは言えなかった。
「あの娘たちがなにかをしでかすわけはございませんよ」
清吉は幸兵衛の心を見透かすように言った。
「それはわかっているんだが、あの土左衛門が持っていたのがあの子たちのなくしたものなのかどうも気になってねえ」
そう言う幸兵衛の言葉にうなずきながら清吉はしばらく黙りこんでいた。
- プロフィール
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島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。