第一話 金泥の櫛(くし)
島村洋子Yoko Shimamura
八
「変な話もありんすのう」
そう言う花魁の髪をとかしながら、そうですねえと清吉もうなずいた。
ここに来て二月(ふたつき)、ようやくあちこちの廓に出入りさせてもらえるようにはなったが花魁の髪を触らせてもらうことは滅多にない。
上まで来たものはやはり気位が高く誰にでも身の回りの世話をさせるということはなかったし、自分の似合う髪形や着物を熟知していたので好みがわかる者でなくては付き合えないのだった。
まして昼三と呼ばれる最高位の花魁はどこの店にもいるものではなく、店の宝のように扱われているのだから、髪結いが気を使うのは当然のことだった。
春日屋の昼三の龍田川は「梅木屋(うめきや)」という髪結いの中年の男が何もかも面倒をみていたのだが疱瘡(ほうそう)という感染(うつ)る病にかかってしまい表に出てこれなくなった。
何しろ疱瘡にかかったら顔といわず背といわず全身に醜いできものができてその跡が残るので、容姿を売り物にする吉原の人々はそれはそれは恐れていた。
そんなわけで春日屋はしばらく梅木屋の出入りを遠慮してもらうことになったので、龍田川はこの機会にどことは決めず腕が良いという評判の職人をひとあたり呼んでみようと思っていた。
売れっ子の中には日常の変化を恐れる者もいたが、変化を面白がる者もいる。
龍田川は後者だった。
「大きさはそれほど大きくしないでくだしゃんせ」
花魁は大きく結った髪に何本もの巨大な簪を挿していたが、あまりに大きいのは堂々とはしているが老けても見える。
貫禄(かんろく)も大事だが若さも強調するべきだ、と龍田川は思っているようだった。
「あとはおまかせいたします」
そう言う昼三の花魁を度胸のいい性分なんだなと清吉は見ていた。
細々と髪形を指定されるのも大変だが、おまかせいたしますと言われるのもこちらの腕を見透かされているようで怖いものである。
清吉にはそれなりの自信はあったが、いくらこちらがうまく作ったつもりでも龍田川が気に入らなければおしまいである。
また龍田川自身がどんなに気に入ったとしても贔屓のお客の評判もあるだろう。
挑戦でもあったので清吉はわくわくしながら椿油を手にとってコテを火箸にさした。
量が多く少し癖のある髪はこちらの言うことをよくきいたので結いやすかった。
ひとりの大きな部屋を与えられ、花魁にまで成り上がったといえども若い娘である。
それなりの悩みや苦しみはあるだろうからこの髪を結う時間は数少ない貴重な時間だろう、と清吉は自分からは話しかけない。
ただ言われたことに返事をし相手の感情を少しずつ探っていく。
鳳凰(ほうおう)の絵が描かれた豪華な襖や赤い紅葉の細工のついた美しい鏡台、鶯(うぐいす)に梅の彫り物がついた欄間など、お客にとっては竜宮城もかくやという素晴らしい座敷である。
だからなおいっそう寂しく思うこともあるだろう。
客の中には親身になって話を聞いてくれる者もあるだろうし、みんな金は持っているだろうが吉原では本音は誰にもあかせないのだ。
- プロフィール
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島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。