第一話 金泥の櫛(くし)
島村洋子Yoko Shimamura
腕のいい漆塗りの職人が娘を吉原に売るまでにはそれなりの話があるんだろうがそれはこの際どうでもいい。
とりあえず偽物を内密にたくさん扱っている小間物屋まで行き、そこから職人のところまでたどり着けばいいのだ。
春日屋幸兵衛は八人の女郎に簪と笄を渡したそうだが、なんかのついでに職人が十や二十、いや百や二百、同じものを作り、小間物屋がさばいていることだってないことはないだろう。
吉原で流行っていると聞けばあか抜けしたい町娘だってこぞって買うに決まっている。
どこにでも目端の利く商売人はいるものである。
春日屋に出入りしている小間物屋伊造は簡単に見つかったのだが、何度尋ねてもうまくはぐらかされた。
偽物を作っている職人もまあそのことをおおっぴらにされたくはないから隠しておきたいのだろうということは清吉にもわかる。
「お宅様のような腕のいい髪結いさんが櫛の職人を知りたいというのはわかります。でもほらお察しのとおりあれはすっきりとした素性のものではないでしょ。それを喋(しゃべ)らないのが商いをやっているもののいっとう大事なところでして」
「あんたが喋ったなんて誰にも言うわけはないよ」
そう言いながら清吉は拝む手真似(てまね)をした。
「博奕をやる前はいい職人だったんだろうねえ。金泥で描いた菊も悪くはないし。まあこんなご時世なんでいろんなことに手を出してしまう気持ちもわからないではないさ」
清吉はカマをかけた。
腕のいい職人が道を踏みはずしてしまうのはたいがいの場合、酒か博奕か女である。
「いや、そういう悪い人ではないんでさあ」
伊造は小賢(こざか)しそうな目をくるくるまわしながら頭をかいた。
大川(おおかわ)沿いにある小さな飯屋は混んでいた。
声を落として清吉は言った。
「いや、あんなことがあってみんな気持ちはよくないんだよ。春日屋の女たちも自分の身辺に悪いことが起きないようにと心配してるんだよ」
清吉の言葉に伊造は大きくうなずいた。
「あの土左衛門、まだ身元がわからないんですってね。酔っ払って落ちたのか殺されたのかは知らないけれど、やっぱりあいつが持っていた櫛はあっしが売ったものなんですかね」
伊造も不安になっているらしい。
「似た櫛はいくらでもあるだろうけど、瓦版の絵を見たんだがやっぱりあんたが売ったものじゃないのかね。菊の葉っぱのほら、ギザギザしたところなんかにくせっていうもんが感じられるしねえ」
清吉はそう水を向けたが伊造は口を割らなかった。
しかし別れ際、
「いやそれでも、あの人も急に嫌気がさしちまったらしく、もう偽物を作るのは金輪際やめたい、なんて言い出しちまって。せっかく娘たちを売った金とこの櫛を売った金とで借金ももうひと息というとこまで来てたのに」
と伊造が言ったのを清吉は聞き逃さなかった。
娘たちを売った?
娘ではなく娘たちとなれば姉妹だろう。
娘を吉原に売った職人はいくらでもいるだろうけれど、姉妹で売る場合はそれほど多くない。
清吉は二十軒ほどの店に出入りしていた。
亀屋に通いで来る女郎も含めるとその店の数はもっと多くなる。
しかし姉妹で売られてきた漆塗りの職人の娘となれば限られている。
梅香だ。
確証があるわけではなかったが梅香の親を清吉は当たってみることにした。
清吉は龍田川付きの禿にも手紙を預けることを忘れなかった。
どうやら梅香の父親があやしいのでどうか梅香にそれとなく当たってくれないかと。
- プロフィール
-
島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。