第一話 金泥の櫛(くし)
島村洋子Yoko Shimamura
二十
龍田川は髪を結われながら、自分が考えたことを清吉に語った。
元結の紐を口にくわえている清吉は鏡越しに大きくうなずいてくれた。
「ああ、なるほど……。職人の気持ちというのはあっしにも少しはわかりますもんでね。名人の仕事を守りたい者がいた、というのは弟子の気持ちとしてわからなくもないんで」
やはりこれが正しいとしたら、梅香の父のその後も気になるところである。
「梅香でございます」
廊下のほうで声が聞こえた。
龍田川は梅香に、紀州(きしゅう)の蜜柑(みかん)があるから、と呼んでいたのである。
おずおずと入って来た梅香に龍田川は、
「蜜柑、食いやんせ。下に持って帰ってたらややこしいから、ここで平らげていきやんせ」
と笑った。
他の女郎にいろいろ詮索されたくなかったのだ。
「わちきはね、あの土左衛門はあんたのよく知っている人ではないのかなと思っておりやんしてね。でもそんなこと訊(き)くのも野暮だしねえ、お美弥のお客ならなおさらややこしいから、いまからわちきが言うことをただの戯(ざ)れ言(ごと)と思って聞いておくんなまし。違ってたらただすもよしそのままにするもよし」
そう言って龍田川は自分の考えを語った。
蜜柑を膝に置き、一房一房口に入れていた梅香の手が止まった。
そしてうつむいているその目からぽたぽた涙が落ちた。
「この世に生まれてきたからには皆、大なり小なりつらいことはあるので、私だけがつらいとは思っておりません。ただ妹とおとっつあんの幸せだけを願っております」
とだけ梅香は絞り出すような声で言った。
「それはあっしが時々、見に行くから安心しなよ」
清吉の言葉に梅香は顔をあげてうなずいた。
吉蔵が住み込みでいた頃の活気ある楽しい日々がよみがえってきて胸が詰まるようだった。
「生きていればいつか会えることもありんしょう」
と龍田川は言った。
生きていれば奇跡というものがあるかもしれない。
梅香は袂(たもと)から、
「これはおとっつぁんが作った正真正銘の簪です。ぜひ花魁に」
と素晴らしい塗りに百合の花が咲いている簪を取り出した。
「え? 大事なものじゃないのかえ?」
「いえ、花魁のような方にしていただくとおとっつぁんは誇りに思います」
そう言う梅香の差し出した簪を清吉は手に取って龍田川の髪に挿した。
「花魁、これでできあがりですよ。お似合いです」
清吉の言葉に梅香もうなずいた。
「おいらん」という言葉は修業中の少女たちが自分のところの先輩の遊女を、
「おいらんところの姐(ねえ)さんはね、おいらんところではね」
と自慢するための「おいらん」から発生した言葉だという。
ついに櫛については本当のことは語らなかったが、この目の前のお方は本当においらんところの自慢の姐さんだと梅香は思った。
それを知ってか知らずか龍田川は、
「じゃあ、今日もしっかり稼ぎましょうや。あ、お美弥ちゃんにももう心配ないよ、とこの蜜柑をこっそり渡しておくんなまし」
と、いつにもまして美しい花のような笑顔で禿たちにそう言った。
- プロフィール
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島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。