よみもの・連載

吉原べっぴん手控え帳

第二話 おばけ騒ぎ始終

島村洋子Yoko Shimamura

 真っ昼間からおばけねえ、龍田川はひとりごちたあと、いつものきりりとした顔をして、座敷に向かった。
 気がすすまない座敷だったが花魁とはいっても、いつもいつも仕事を断れるわけでもなく、宴席にだけは出ねばならない。
 こりんもおふくも神妙に龍田川の横にひかえていたが、こりんに見えたおばけはおふくには見えなかったのだろうか、と思うと少し面白かった。
 おふくは七つ、こりんは八つである。
 まだまだ親が恋しい子どもである。
 こりんがどういういきさつでここに売られてきたか詳しいことは知らないが聞いたとしたって、どうせみんなよく似た話である。
 博奕(ばくち)打ちの父親がいたり、胸を患った母親がいたり、あるいは越後(えちご)だか羽州(うしゅう)だかで飢饉(ききん)が起こり女衒(ぜげん)に売られてきたという話である。
 聞かされるほうも話すほうも良い気持ちになることはないので誰も尋ねないが、ここでは皆がお互いを気の毒な身の上だと思いやる気持ちは持っていた。
 可愛(かわい)い娘を娼家(しょうか)に売りたくて売る親などいない。
 しかしここに来ると白い飯が食えることは間違いないし、運が良ければお大尽(だいじん)に見初められて良い暮らしができるかもしれない。
 そういう話は何年かに一度、稀(まれ)にはあって瓦版で見ることもなくはなかったし、万にひとつ年季が明ける頃まで元気でいて、ふつうの人の嫁になることもなくはない。
 とはいえほとんどの場合、最後は投げ込み寺の無縁仏になるのだったが。
 しかしこりんとおふくは花魁への道を歩き始めているのだから、お大尽にめぐりあう確率はふつうの暮らしをしている女より多いとも言えた。
 あまり突拍子もない夢は見ないようにして、毎日の良い面だけを見て生きるのが吉原で冷静を保っていられるコツであると龍田川は知っていた。
 今夜のお客はもう三回目になる材木や瓦を商う豪商だ。
 どこの出だか訛(なま)りがきつく声が大きく、あか抜けたところはまるでない。
 しかし湯水のように金を使ってくれるのでむげにはできない。
 いくら花魁は客を選ぶ、買われた身といえど花魁は違うといっても程度問題である。
 店も商売、お高くとまって平気でいられるわけもない。
 しかしあの品のない男と同じ床に入れるかと問われるとつらい自分がいる。
 龍田川には思案のしどころだった。
 そして決意した。
 とりあえず今日のところは逃げてみようと。
 宴会の最中に大きく息をついて気絶したふりをしたのである。
「あれ、花魁、急にどうした?」
 だんだんまわりの声が遠くなっていく。
 演技をしているうちに本当に龍田川は気絶してしまったらしい。
 ふわっと海面をただようような気がしたあと暗い闇へと吸い込まれていくかのようにわけがわからなくなった。

プロフィール

島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。

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