よみもの・連載

吉原べっぴん手控え帳

第二話 おばけ騒ぎ始終

島村洋子Yoko Shimamura

   二

 おふくと離れてしまったこりんは、もう一度お稲荷さんに行けば会えるのではないかと思い、怖いながらもしばらく境内に立っていたという。
 この九郎助稲荷神社は吉原の外れ、羅生門河岸(らしょうもんがし)の南東隅にあった。狭いが、まだ秋祭の賑わいも残り、小さな露店も出ていた。
 商売繁盛だけではなく病気平癒や恋の悩みまで解決してくれるというので、吉原内の女や店主が油揚げをお供えしたりしていつも参詣(さんけい)の人が絶えなかったが、どういうわけかその日に限って境内には誰もいなかった。
 まだ日は高く風もなかったので絶対に見間違えるはずはないのだが、髪を振り乱して白いぺらりとした着物の女が突然、木々のすき間から現れ、ジロリとこりんを睨(にら)んだらしい。
「すくみあがるほど怖かったでありんす」
 といまにも泣きそうな顔をして言うこりんが嘘をついているとは龍田川にも思えなかった。
 白いぺらりとした着物といえば誰かを呪うときに着る「丑(うし)の刻参り」だが、それは「丑の刻」に行うからそういうのであっていくらなんでもそんな真っ昼間に藁(わら)人形を持ってうろうろしている者なんていないだろう。
 吉原はふつうの場所とは逆で、夜に比べると昼間は人があまり歩いていないのだが、それにしたってそんな異様な格好をしていたら、誰かしらが見ているはずだ。
「おまえは睨まれてどうしたんだえ」
 龍田川の問いかけにこりんは答えた。
「どうにもこうにも恐ろしくて動けなくなって、その女がすーっと消えたからああやはりおばけだったんだと思うと怖くて怖くてそのまま気づいたら長い時間がたってたんでありんす」
「不思議なこともあるもんだねぇ」
 龍田川はそう言い、その女に見覚えはあるかと聞いた。
 もしその女が「丑の刻参り」に来たとしても、そうではなかったとしても吉原以外の人間がわざわざこの九郎助稲荷に願掛けに来るとは思えず、やはり内部の者だろう。
 丑の刻参りはするほうにも覚悟が必要で、誰かに見られたら隠し持った短剣で見た相手か自分の胸を突き刺さなければならないと聞いたような記憶が龍田川にはあった。
 そんな大変な儀式を昼間にやる者がいるだろうか。
「そのおばけは若かったのかえ、それとも年増(としま)かえ」
 龍田川にそう聞かれてもこりんは首を横に振るばかりである。
「どちらにしてもおばけが昼間に出るなんてことは聞いたことないけどねえ」
 と龍田川が息をつくとこりんは、あ、そうだ、と声を出した。
「手に文みたいなの持ってました」
「五寸釘(くぎ)じゃなくてかえ」
 そう龍田川が言った時、髪結いがやってきた。
 髪結いの名は清吉(せいきち)という。
 最近、湯島(ゆしま)のほうからやってきた腕達者である。
 言葉には出さないが龍田川は誠実な人柄の清吉を心強く思っていた。

プロフィール

島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。

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