よみもの・連載

吉原べっぴん手控え帳

第二話 おばけ騒ぎ始終

島村洋子Yoko Shimamura

   三

「下で花魁のおかげんが少し悪いと聞いたんですが、今日はどうなさいますか」
 崩れたところを撫(な)で付けてまとめるだけで本格的な髪結いは別の日がいいのではないかと清吉はすすめているのだ。
「いえ、いまはすっかりよくなったんでありんすが、どういうわけか気が遠くなっちゃってねぇ」
 龍田川は昨夜あったいきさつをかいつまんで語った。
「へえ、こりんちゃんが。何を見たんでしょうか。狐(きつね)にでも化かされたんでしょうかね」
 清吉も昼間におばけとは不思議なこともあるもんだ、と思ったようだ。
 髪の乱れたところに油をつけ、丁寧に撫でつけながら、
「それはお百度を踏んでたんじゃないですかね」
 と思い付いたことを言った。
「ああ、なるほど」
 どうしても叶(かな)えたいことがある時、神社に百日間毎日参拝するか、一日で百回も境内にあるお百度石のまわりを回って願をかけるのだ。
 それなら昼間でも参る人はいるだろうと思ったが、
「しかしそれならぐるぐる回りますもんね。あるいは別の日でも見てる人はいるでしょうしねえ」
 と言う清吉の言葉に、龍田川はやっぱり変な話だと思った。
 神に誓いを見せるということにおいては白装束が好ましいのだろうが、髪を振り乱してまでやることだろうか。
 白装束ということは水ごりでもして潔斎しているのかもしれず、そんなことを真っ昼間にしたら人目について仕方がない。
 そう思えばやっぱりこりんの言うようにおばけだったのかもしれないと龍田川は思うようになった。
「年の頃はいくつくらいなんですかね」
 清吉の問いかけに龍田川は鏡越しに首を振った。
「それがこりんもよくわからないって言うんだよねえ。若くはないそうだけど」
「鉄の輪を頭にはめて蝋燭(ろうそく)とか立てると聞いたことがありますけど、それは夜中だからだろうし。でも目があったとたん、こちらを睨み付けたっていうんだから、むこうはこりんちゃんを見てますよね。見られたくなかったんでしょうかね。それならもっと違う時間にすればいいのに変な話ですなあ」
 そう言いながら清吉の手は止まらない。
 どんどん髪がきれいに仕上がってきて、鏡に映った龍田川の顔は病み上がりとは思えないほど上気していた。
「丑の刻参りは姿を見られてはいけないんでしたよねぇ」
 と清吉はひとりごちた。
「見られたら一からやり直しになるんだっけ、それとも……」
 それともと言って口をつぐんだ清吉を鏡越しに見ながら龍田川も清吉が言いよどんだ次の言葉を知っている気がした。
「それ、見られたら見た相手をこの世から消さなくちゃならないんでしたっけ」
 清吉が言葉を継いだ。
「なんかあちきもそんなことを聞いたことがありんす」
 白装束の胸に鏡をつけて頭には蝋燭をつけるのだが、この鏡をつける理由は相手を殺すほどの憎しみが何かの場合には自分に跳ね返る覚悟を持つということである。
 人を呪わば穴二つというのは、自分も死を覚悟するということだ。
 丑の刻参りは誰かに姿を見られたら自分に呪いが跳ね返ってくるので、それを避けるためには絶対に人に見つかってはならない。
 見つかった場合は相手を葬り去らなければならないという決まりがあるらしいのだ。
 しかしこりんは気を失っただけで命まで取られてはいない。
 昼間に稲荷に行って誰にも見られないほうが難しいではないか。
 だから何かがあるはずだと思いながら龍田川は浮かぬ座敷へ向かう用意を始めた。

プロフィール

島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。

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