よみもの・連載

吉原べっぴん手控え帳

第二話 おばけ騒ぎ始終

島村洋子Yoko Shimamura

 その掘っ立て小屋に何人か娘がいて、呼ばれたら連れられて行って二度と帰ってこなかった。
 話すことは禁じられていたが、なんだか耳にしたこともない強い訛りの娘もいた。
 何日かしていくうちにあの娘たちは淫売宿(いんばいやど)に売られていくのだな、ということはお峰にもうっすらとわかってきた。
 そして自分もそうなるのだ、とお峰は思った。
 悲しいよりも不思議だった。
 なんで自分はこんなに簡単にかどわかされたのだろう。
 八里(約三十二キロメートル)も離れた佐倉のほうに行って倒れた母のことをその日の晩のうちに知らせに来られるわけがない。どうしてそれに思いいたらなかったのだろう。
 なぜあの男は自分の家の事情に通じていたのだろう。
 葬式は前もってわかるものでもないし、叔母の娘の名前も知っていた。
 そして一番不思議なのは父親が酒を飲みに行って遅くなる日がどうしてわかってあの男はやってきたのだろうということだ。
 何もわからないまま、船に乗せられ川のそばの宿屋に連れていかれてそこで半年ほど客を取らされた。
 その間はほとんど表に出られなかった。
 なんとか抜け出すことを試みたがことごとく失敗した。
 いよいよ死のうかと紐(ひも)を持ってきたり、水に顔をつけたりしたがうまくはいかなかった。
 すべて無駄だとわかって窓の外を飛ぶ雀(すずめ)を眺めながら、どうやったら雀になれるんだろう、そうしたら飛んで帰れるのに、と思いながらぼんやりしていたこともある。
 一生ここにいるとしたらとりあえず母や弟に手紙でも出したいと思っていたが、その手段もわからない。
 死ぬことも動くこともできないとしたら、病にかかることはできないものかとお峰はぼんやりと考えていた。
 犬や猫は幸せだ、外を走ることができるのだから、と窓から生き物ばかり見ていた。
 そんな頃、突然、運命が変わった。
 ある日、見たこともない身なりの良い男がやってきた。
「お峰ちゃんといったかい?」
 と初老の男はにこにことお峰に話しかけた。
 お峰はこれは新しい客なのかと思って愛想笑いをしながらうなずいた。
 おぼこだったお峰はその半年の間にいろいろなことを身につけて、もう男に媚(こ)びたり愛想笑いができるようになっていたのだ。
「噂(うわさ)に聞いてやってきたんだが、あんたみたいなべっぴんさんがこんなところにいては駄目だよ。もっといいところに来なさい。吉原に来れば白いおまんまが三度、食えるんだよ。あんたの借金はもうこの私が払っておいたから」
 春日屋幸兵衛(こうべえ)と名乗ったその男の言葉に、初めてお峰は自分はかどわかされたのではなく、売られたのだとわかった。
 豊かなわけではなかったが、娘を売らなければならないほど窮していたとも思えなかった暮らしなのに、なぜこんなことになったんだろう、義理の父に借金でもあったのかと思ったがそんなこといまのお峰にわかることではない。
 お峰は幸兵衛が持参してきた着物に着替えて吉原に向かった。
 吉原に来て以前よりはずいぶん良くなったが、また客を取る暮らしが始まった。

プロフィール

島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。

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