よみもの・連載

吉原べっぴん手控え帳

第二話 おばけ騒ぎ始終

島村洋子Yoko Shimamura

「おっかさん!」
 お峰は大声をあげて母に抱きついた。
「お峰!」
 母も泣いていた。
「あんなつまらない男のためにおまえにこんな苦労させて。こんなおっかさんを許しておくれね」
 そう言う母の言葉にお峰は首を何度も横に振った。
「やっと会えたんだからおっかさん、もうそれは言いっこなしよ」
「あたしはね、前の男と別れた時もあんたを手放さなかったし、何をしてもそばにおいて育てると誓ったのにこんなことになるなんて、ご先祖様にもお天道様にもそしてあんたに申し訳なくて申し訳なくて。絶対にあんたをここから出してやるからね」
 気が強いことで有名な母である。
 信じていれば絶対に何か考えて自分を自由にしてくれるとは思いたかったけれど、相手はなんてったって吉原という大きい怪物であり、自分が売られてきたのは生き馬の目を抜くといわれるこの吉原でも一、二を争う遣(や)り手の亭主のいる春日屋という店である。
 そんなに簡単に話は進まないだろうと思った。
「あんた何年勤めたら出られるんだい」
 再会の感激の涙もそこそこに母が言った。
「病にもかからず命があって無事にそこそこ仕事ができれば、そう四年か五年か、まあそのくらいか」
 お峰は息をついた。
 たいがいの女郎は胸をやんだり、花柳病で動けなくなり二十代半ばになる前に死んでいく。
 あるいはまれに借金を肩代わりしてくれる人間をうまく見つけて嫁に行くこともあるが、お峰がここに来てからそんな幸運な女郎は見たことがなかった。
「四年か、五年かい、そんなのあたしも生きてるかどうかもわからないし、おまえにも何があるかわからない。ここはなんとか考えるからおまえはあたしを信じて大船に乗った気持ちでいるといいよ。絶対に大丈夫だから」
 母の言葉にお峰はうなずいた。
「ありがとう、おっかさん、でも危ないことはやめておくれよ」
 お峰は言った。
 この母だったら吉原中に火をつけて逃がそうとするかもしれない、と思ったからだ。
「大丈夫だよ、あたしにも考えがある。そのかわりおまえはあたしが言ったとおりに動くんだよ」
 母はそう言うと買ってきたばかりの小さなかっこめをぐっとお峰に握らせた。
「お稲荷さんでよそのお守りや縁起物渡すとお稲荷さんはやきもち妬(や)くかもしれないからちゃんとお参りしなくちゃね」
 母はそう言ってきちんとお稲荷さんにお賽銭(さいせん)を入れた。
 そして裏にある一軒家のようになっている社務所にお峰を連れていった。
「ごめんくださいまし、ごめんくださいまし」
 そう言って社務所の誰かを呼び出し、そのあとおつねが信じられない言葉を言うのをお峰は聞いた。
「ご無沙汰いたしました。おつねでございます、お父上様」
 母はそう言って出てきた神主に頭を下げたのである。

プロフィール

島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。

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