よみもの・連載

吉原べっぴん手控え帳

第二話 おばけ騒ぎ始終

島村洋子Yoko Shimamura

   七

「おばけなんかいるわけないとあたしは思うんですがねぇ」
 と言う声が奥から聞こえてきて清吉は驚いた。
 ここは清吉が勤めている吉原の亀屋(かめや)である。
 おしのばあと呼ばれる気の利く女が営んでいる髪結処だが、仕事が丁寧で安いというので女たちに人気があった。
 清吉は主に外回りをしていて大見世の高級女郎のもとに通って髪を結うことが多いが、おしのばあは店にやってくる女たちの髪を作っている。
 今日は吉原で人気の芸者である若松(わかまつ)が来ていた。
 芸者は女郎と違って絶対に色は売らない。
 宴会で座を盛り上げるために三味線を弾いて踊ってお酌もするが、夜はひとりで寝る。
 しかし毎日朝から稽古(けいこ)があり、太鼓も唄も踊りも学ばねばならぬ上に新入りにも教えねばならないので忙しい暮らしである。
「いえね、あたしも真っ昼間からいい大人なのに、ぎゃあ、と声を出しちまいまして。吉原ではいろんな足のあるおばけを見てますのにね」
 明るい気性の若松の話は芸者らしく面白かった。
 清吉は土間で道具を手入れしながら聞くとはなしに聞いていた。
「なにしろお稲荷さんなんで、まあお狐さんにでも化かされたんですかねぇ」
 あはは、と若松は屈託なく笑っている。
 お稲荷さんと聞いては清吉は黙っていられなくなった。
「もしかしてそれは、白装束の女ですかね」
 障子を少しあけて声をかけた清吉の言葉に若松は大きくうなずいた。
「そうそう、そうですよ。え、あたし以外にも見た人がいるって話ですかい」
「いやー、どこそこの花魁についてる禿がね、真っ昼間にお稲荷さんでおばけを見たって言っている、って聞いたんですが、まだ子どもなんでなんか幻でも見たんだろうってみんなで話してたとこですよ」
「え、じゃあ、やっぱりあたしが見たのはおばけだったのかしら」
 清吉が若松に詳しく話を聞いたところ、その日は午(うま)の日の縁日だったから九郎助稲荷に寄ってみたら突然、木の陰から白装束の女が出て来て若松をじろりと睨んだという。
「縁日の屋台も出てる日ならばみんな見てたんじゃないですかね」
「それがちょっと早めの時間だったから屋台はこれからって感じだったかね」
 芸者は夜通し仕事をしている女郎たちと違い、ずいぶん早いうちから動いている。
 おばけが出たのはまだ日の高い時分だったという。
「丑の刻参りをするなら真夜中の誰もいない時だからねぇ。なんか気持ちが悪かったよ」
「近頃あっしもなんか気になってできるだけお稲荷さんのあたりを見てるんですよ。でもなんにも出会わないんで、やっぱり子どもが幻でも見たのかなと思っていた矢先でさあ」
「昼間だったしあたしもいい大人だから平気だったけど、あれを子どもが見たとしたらびっくりしてひっくり返っちまうと思いますよ」
 若松の言葉にこりんが気を失ったのはやはり本当に「何か」を見たからだ、と清吉は思った。
 そしてその話を龍田川とこりんに伝えようと春日屋に向かった。
 今日は髪はいいわ、と言われるかもしれないがとりあえず御用はありませんかと聞きに行くのも日課のひとつである。

プロフィール

島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。

Back number