よみもの・連載

吉原べっぴん手控え帳

第二話 おばけ騒ぎ始終

島村洋子Yoko Shimamura

   八

「四郎兵衛会所」とはお上(かみ)が設置したものではない。
 平たくいえば自警団という形をとった地域の警備組織である。
 したがって殺人や強盗などの取り締まりをしているわけではなく、ここ吉原ならではの女郎の足抜けを取り締まる組織なのだ。
 女郎は人間ではあるが、店にしてみれば「商品」であり「財産」である。
 最初にそれなりの金を渡して奉公してもらうので、その借金を返しきるまで女郎は自由の身にはなれない。
 だから吉原遊郭周囲には、忍び返しがついている高い黒板塀を作り、堀をめぐらせ、大門の入口右手に四郎兵衛会所を作ったのだ。
 ここには大店(おおだな)から何人かずつ派遣された屈強な男たちが十数人、常にたむろしている。
 そもそもは三浦(みうら)屋の店主四郎左衛門が女郎に逃げられ続け、いつも大門脇に張りついていたのでこういう名前がついたともいわれているが真偽のほどはわからない。
 それから年月とともにどんどん改変され、いまのような自治的な警備組織になった。
 この会所以外にも大門を入った左にはきちんと与力(よりき)や岡っ引きのいる面番所(めんばんしょ)と呼ばれる場所があった。
 これはお上の正式な警察組織である。
 揉(も)め事や犯罪、手配人の捜査など市中にある組織とほぼ同じことをしている。
 立場としてはもちろん公的な面番所のほうが上なので、四郎兵衛会所の者が何かの下手人(げしゅにん)を押さえ込んでもその手柄は面番所の者が持っていくことも多かった。
 しかし面番所の人間が手の出せないことも吉原にはある。
 それが大門切手(おおもんきって)とも呼ばれる女切手である。
 女切手は女郎ではない女に発行される公式文書で、これを入口で見せると通してくれる。
 吉原大門から入るのはほとんど自由だが、女が出るときは四郎兵衛会所の男に誰何(すいか)されるのでこれを見せねばならない。
 野菜を売る女や三味線を運ぶ女、足袋や着物を店に持ってくる商売人の女など、女郎以外の出入りも多い吉原ならではの知恵である。
 発行される女切手は数多く、女だけでも五千人ほどいるといわれる吉原内部なのに四郎兵衛会所の男たちはその女たちをすぐに判断できた。
 女郎が物売り女に成り済ましたり男の装束を身に着けたりしても四郎兵衛会所の男たちの目はなかなかごまかせないのだ。
 何かを隠している女はどこかおどおどしていたり、きょろきょろしたり挙動不審であることも多いが、逆に堂々とこちらに話しかけてくる者もいたりするので、いわく言いがたい不自然さを醸し出しているからだ。
「履き物もな、かたぎと女郎では派手さが違うからよく見たほうがいい。鼻緒や花布(かふ)なんかが違うから。着物を替えて出てくる女はいてもなかなか履き物にまでは気が回らないもんだよ」
「目をあわせないようにしていたり、人混みにまぎれようとする者もいるからそこが余計に目立つこともあるんで、一点に注目しないでぼーっと全体を見て動きがふつうのとは違うやつを見つけるといいのさ」
 大店の角海老楼(かどえびろう)から派遣されて二月(ふたつき)になる若者、金之助(きんのすけ)もだんだん先輩に言われてきたことがわかってきた。

プロフィール

島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。

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