よみもの・連載

吉原べっぴん手控え帳

第二話 おばけ騒ぎ始終

島村洋子Yoko Shimamura

 女郎の足抜けはそんなにあることではないが、あればおおごとである。
 気のはる仕事ではあるが、ここがいい加減では吉原の町は成り立たないと思い、日夜仕事に勤(いそ)しんでいた。
 近ごろ、白装束にどてらのような長羽織を着た中年の女が明け六つ(朝六時)の大門があいたとたんやってくるようになった。
「あれはどういう女なんですかい?」
 と先輩に聞いたら、
「ああ、あれは九郎助稲荷の娘で、若い時に駆け落ちしたんだが改心したらしく、親元に詫びにきてるんだよ。だけど神様にお百度踏んでからでないと話は聞かないと親に言われて、毎日やってきてるという女だ」
 という返事が返ってきた。
「え、朝から白装束ですか」
「いや親が会ってもくれないんで着替えるところもないそうで、朝一番に来て水ごりをして祈ってるらしい。そういうことだから百日はよろしくお願いいたします、と九郎助稲荷のほうから菓子折と酒が来たんだよ」
 変な話だと思いながらもあの時のあんこのうまい最中(もなか)が回ってきたのはそういうことだったのか、と金之助は合点した。
 暗い表情で白装束にどてらを羽織った女は朝来て夕方、灯(ひ)ともし頃にそそくさと帰っていく。
 若い時はそれなりに綺麗(きれい)な女が一時の気持ちに負けて駆け落ちなどをしてしまうと、老けてからこうやってツケを払うことになるんだなあ、と、哀れむ気持ちで女を眺めている。
 その日もまた白装束の女は少し濡(ぬ)れた髪を雑に束ねて頭を下げて大門をくぐり出ていった。
 あれ、いつもよりちょっと足取りが元気で若々しくなっているな、きっと百日が近づいて心も軽くなっているのだろう、と金之助はその後ろ姿を見送った。

   九

 そろそろ見世が始まるという時間に男衆や遣り手ばばあがどどど、どどどと音を立てて廊下を走り回る姿を見て龍田川は部屋から首を覗(のぞ)かせた。
 こういう場合、何があったかはもうわかっている。
 女郎の足抜けが出たに違いないのだ。
 いったい誰だろう。
 興味津々だったがそこは位の高い花魁の龍田川なので鷹揚(おうよう)にしておかなくてはならない。
 しかしやはり気になる。
 しばらく聞き耳をたてていたがたまらなくなって、傍らにいる禿のこりんに、
「何があったかこっそり聞いてきとくれ」
 と言った。
 残っていたおふくも気を利かせて、
「わちきもちょっと表を見てきやんす」
 と階段を下りていった。

プロフィール

島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。

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