よみもの・連載

吉原べっぴん手控え帳

第二話 おばけ騒ぎ始終

島村洋子Yoko Shimamura

 自分のせいで両親を年よりも老けさせてしまった、とおつねは罪深い己が身をいまさらながら恥じた。
「急に帰って来たと言われて、ああそうかい、などとおまえにこの敷居を跨(また)がせるわけにはいかぬ。おまえはこの父母を裏切り、何よりこの九郎助稲荷の神様をも裏切ったことになる。それを謝らなければならぬ、百日をかけて。話はそれからだ」
「百日ですか」
 目の前が真っ暗になったが、おつねは大きくうなずいた。
「たしかに私がいたしましたことはどんなに謝罪をいたしましても、簡単に神様に許されるものではないとわかっております。しかし娘のお峰は何も知りませんし、何も悪いことをしておりません。とにかく一日も早く……」
 というおつねの言葉を遮って父が言った。
「そんなことはわかっておるわ。とにかく私の話をよく聞きなさい」
 おつねは父からその謀(はかりごと)を聞いた。
 九十九日、毎日稲荷に来て白装束で水ごりをしてから神に謝れと。
 とにかくその姿を皆の目に慣らせればいい。
 最初は奇異に思われるほうがいい、皆は口々に白装束の女の噂をするだろうがそのうち慣れて興味を持たなくなるだろう。
 あれは若いうちに出ていった神主の娘がみそぎをおこなっているのだ、と皆が理解する。
 それには百日がいい頃合いである。
 百日目、おまえと娘は入れ替わればいい。
 注意すれば白装束の女が若くなっていることに気がつくだろうが、百日ともなればみんな注意して見はしない。
 毎日見ているものを人は注視しない。
 それからは娘を遠い住まいに迎えてこっそり生きていけばいいのだ。
「私たちは落ち着いた頃におまえたちに会いに行く」
 父の言葉に深くおつねはうなずいた。
「でも吉原に残った私はどうすればいいのでしょう」
「おまえは榊(さかき)を運ぶ女たちに紛れて榊を持って出ていけばいい。白装束でないおまえを誰もほとんど覚えてはいないだろう。稲荷から手伝いの女が入ると連絡をしておく」
 おつねは父から命じられたことを境内でお峰に伝えた。
 お峰は深くうなずき、
「百日、我慢して見世を勤めます」
 と言った。
 それからは何もなかったように日常を過ごした。
 昼間、お参りするふりをして九郎助稲荷に行って母とする会話も最低限である。
 しかし日々の暮らしに張りというものが出てきた。
 自分はもうすぐ自由の身になれるのだと思えばふり仰いだ空は青く見えた。
 風の噂で、九郎助稲荷におばけが出る、というのも聞いた。
 お峰のいる春日屋でも禿たちがおばけを見たらしく大騒ぎになっていたが、どうやらお百度参りの女らしい、ということで落ち着いた。
 皆がお峰の母の姿を認知し始めているのだ。
 あとは最後の日に入れ替わるだけだった。
 神主の計略は見事成功したのである。

プロフィール

島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。

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