連載
夫婦で行く 東南アジアの国々
「夫婦で行く 東南アジアの国々」 清水義範 Yoshinori Shimizu
第五章 カンボジア(下)

 六日目はタイ国境から二十キロメートルのところにあるバンテアイ・チュマールに向かう。シェムリアップからは西に向かって六号線を約百六十キロメートルのロングドライブだ。
 そこへ向かっているうちに、カンボジアの歴史を簡単にまとめておこう。
 カンボジアで見つかっている最も古い人間の痕跡は紀元前四二〇〇年頃と推定される。
 紀元前一五〇〇年頃にはトンレサップ湖の東南部に現在のカンボジア人に近い人々が居住していたとされる。
 紀元前後頃、インド商人がインドシナ半島南部に来航し、交易を行っていた。
 紀元一世紀頃、インド文化の影響を受けた扶南(ふなん)国がメコンデルタ地帯に成立する。扶南は海上交易の要衝、森林物産の集散地として栄えた。特に外港オケオ(現在のベトナム、アンザン省)は海のシルクロードの貿易中継地として、インドや中国、さらにはローマ帝国とも交易を行っていた。
 六世紀に入り扶南が衰退し、扶南の属国でラオス南部のチャンパサック地方を中心に栄えた真臘(しんろう)が六一〇年に独立、七世紀前半には扶南を併合する。
 真臘は六一六年にイーシャーナバルマン一世が王位につき、首都をイーシャナプラ(ソムボー・プレイ・クック遺跡)に置く。
 三十余りの地方拠点となる城市を持ち、現在のカンボジア全土を統一、タイのチャンタブリー地区まで版図(はんと)を広げる。
 しかし真臘はなかなか安定せず、城市の独立的傾向もあり、国家統一と分裂を繰り返す。
 七七〇年頃、ジャワから帰国したジャヤバルマン二世は国内各地を再征服し支配領域を広げ、八〇二年王位につきアンコール朝を創設した。
 八七七年インドラバルマン一世が王位につくと本格的都城のハリハラーラヤ(ロリュオス遺跡)を造営し、国家寺院バコンを建立した。
 アンコール地域を開発するために大規模な水利事業に着手し、大貯水池インドラタターカを作らせて農業生産は飛躍的に発展した。
 インドラバルマン一世はかつての支配地域を回復、さらに領土を広げタイ東北部までを支配する。
 八八九年に即位したヤショバルマン一世はハリハラーラヤの北十三キロメートルに位置するアンコールの地を王都と定め、約四キロメートル四方の大環濠都城ヤショーダラプラを建造した。
 九二八年地方の小王ジャヤバルマン四世が王位につき、アンコールから北東に九十五キロメートル離れたコーケー地方に遷都するが、九四四年にラージェンドラバルマンにより王都は再びアンコールに戻される。
 十一世紀は内乱と混乱の時代で、王たちは権力争いを繰り返した。
 一一一三年スールヤバルマン二世が武力で王位を剥奪すると三十年ぶりに国内が統一され、王は自らの権威の象徴としてアンコール・ワットの造営に取り掛かった。
 一一七七年、勢力を伸ばした近隣の海洋貿易国家チャンパの軍に、王都アンコールを一時占領されるが、アンコールはすぐにこれを回復し、一一八一年には建設王ジャヤバルマン七世が登場する。
 ジャヤバルマン七世の統治下では空前の繁栄を極め、インドシナ半島の大部分を占めるほどの大王国となった。
 王は都城アンコール・トムの造営を開始、中央にはバイヨン寺院を置く。その他、バンテアイ・クディ、タ・プローム、プリア・カンなど多くの寺院を建立した。また王は街道を整備し、街道には百二十一カ所の宿泊所を置き、百二カ所の病院を建てたと言われる。これがアンコール王朝の最盛期だった。
 ジャヤバルマン七世の死後、国力は次第に衰退し、近隣諸国への支配力も弱まり、マレー半島は分離独立、シャムにはスコータイ王朝やランナー王朝が成立する。
 一四三一年にはシャムのスコータイ王朝の後を継いだアユタヤ王朝にアンコールを攻略され、王都アンコールは陥落した。



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〈プロフィール〉
清水義範(しみず・よしのり)
1947年10月28日名古屋市生まれ。愛知教育大学卒業。81年『昭和御前試合』でデビュー。88年『国語入試問題必勝法』で第9回吉川英治文学新人賞を受賞。奇抜な発想とユーモアを駆使した小説やエッセイを次々と発表。著書多数。
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第七章 インドネシア〈バリ島〉(最終回)
第七章 インドネシア〈ジャワ島〉
第六章 マレーシア(下)
第六章 マレーシア(上)
第五章 カンボジア(下)
第五章 カンボジア(上)
第四章 ベトナム(下)
第四章 ベトナム(上)
第三章 ラオス(下)
第三章 ラオス(上)
第二章 タイ(下)
第二章 タイ(上)
第一章 ミャンマー(下)
第一章 ミャンマー(上)