連載
夫婦で行く 東南アジアの国々
「夫婦で行く 東南アジアの国々」 清水義範 Yoshinori Shimizu
第五章 カンボジア(下)

 第七日目は午前八時にホテルを出発した。今日はカンボジアの北側でタイとの国境を接する州にあるプリア・ヴィヘアに行く。シェムリアップからは約二百五十キロメートルだ。
 バスはまず北に向かう。稲刈りのシーズンらしく、結構広い田んぼを二〜三人で刈り取りをしている。
 途中に、カンボジア内戦の時、報道写真家として活躍し、この地で亡くなった一ノ瀬泰造(一九四七〜七三)のお墓のあるラク村を通って行く。
 五十キロメートルほど走ると聖山クレーン(ライチ)山が見えてくる。細長いナマコ型の山で、ここがアンコール王朝が誕生した場所だ。八〇二年ジャヤバルマン二世は、この山の山頂プノン・クレーン(標高四八七メートル)でクメール諸王の王であると宣言し、以後六三〇年にわたるアンコール王朝が始まった。
 その当時はインドから伝わっていたヒンズー教が圧倒的に信じられていたので、プノン・クレーンは霊峰ヒマラヤに見立てられた。カンボジアは平たい土地なので四八七メートルでも霊峰というわけだ。
 山上や川底に遺跡がある。滝(落差二十メートル)が有名で地元の人に人気が高い。正月などは車を停める所がないくらいの人が訪れる。今も山上に村があるそうだ。
 バスは北上してアンロン・ベンの町に入る。この町のレストランでトイレ休憩。この町は今でもポル・ポト派を支持しているそうだ。この町はポル・ポト派の幹部の一人タ・モクという人物が拠点にしていたところなのだそうだ。
 内戦が終わり、行き場のなくなったポル・ポト派は分裂し、当時フンシンペック党(王党派の政党)との連携を視野に入れていたタ・モクにより、ポル・ポトは拘束されて人民裁判にかけられ終身刑が言い渡された。
 アンロン・ベンからは東に進む。だいぶん国境に近づいてきたが道路はそれほど悪くはない。
 ポル・ポト時代、米はたくさんできたが中国に輸出された。だから食べ物がなくなり、ほんの少しの米で薄いお粥を作りそれをすすった。そのため、ヘビ、ネズミ、虫など採れるものは何でも採って食べた。
 ここでガイドのパークンさんは意外なことを言った。ポル・ポト時代を悪いとは言えない、と言ったのだ。ポル・ポト以前は不公平な社会だった。それをポル・ポトは平等にしたいと考えたのであり、うまくいかなかったので悪く言われるだけだというのだ。
 カンボジア人のポル・ポト派への恨みの感情の弱さにちょっと驚いた。パークンさんの親戚では、九人兄弟の内七人が殺されたというのである。目の前で兄弟を殺された後、残りの二人は別々のところに連れていかれた。後に姉がそのことを覚えていて、探しまわった末に再会することができたのだという。その弟の一人は今、高校の校長をしているそうだが、だからといって悪い時代ではなかったということになるのか。
 パークンさんの両親はポル・ポト時代に強制結婚させられたのだそうだ。しかし今でも仲がよい、と言っている。両親はクメール・ルージュに役に立つと思われ殺されなかった、と言うが、だからといってそれでよかったのか。
 クメール・ルージュに対する裁判はまだ続いているそうだ。元幹部は老人になり、亡くなったり、認知症になったりしている。
 ところで、カンボジア人はその裁判に意味を感じていないらしい。仏教の思想から、すべて忘れるほうがいいと思っているのだそうだ。不思議な民族である。
 目的地に近づいてきた。あたりは田も畑もなく、ただの荒野だ。
 天空の寺院プリア・ヴィヘアに到着した。チケットセンターでバスを降り、4WD車に乗り換えてくねくねした坂道を十五分ほど上る。
 観光の前に、駐車場のところにある食堂でお弁当を食べる。弁当に飽きてきてあまり食欲がない。



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〈プロフィール〉
清水義範(しみず・よしのり)
1947年10月28日名古屋市生まれ。愛知教育大学卒業。81年『昭和御前試合』でデビュー。88年『国語入試問題必勝法』で第9回吉川英治文学新人賞を受賞。奇抜な発想とユーモアを駆使した小説やエッセイを次々と発表。著書多数。
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第五章 カンボジア(下)
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第三章 ラオス(下)
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第一章 ミャンマー(下)
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