連載
「夫婦で行く旅の食日記」
「夫婦で行く 東南アジアの国々」 清水義範 Yoshinori Shimizu
第七章 インドネシア〈ジャワ島〉

 ジョクジャには仏教の遺跡ボロブドゥールと、ヒンズー教の遺跡プランバナンがある。スルタンの王宮(クラトン)もある。
 ジョクジャは南緯約八度にある街だ。
 おおむね五月から十月が乾期、十一月から四月が雨期だ。雨期には馬の背を分けるような雨(ガイドが使った表現)が降る。今年は異常気象で乾期がなかったそうだ。
 街の北にはムラピ山という標高二九一一メートルの活火山がありよく噴火する。日本の雲仙普賢岳の噴火の時の火砕流はムラピ山型の火砕流だそうだ。
 インドネシアには百二十七の活火山があり、火山国である。温泉も多いが気候が暑いので人々はあまり温泉に入らないのだとか。
 ガイドのそんな話をきいているうちにホテルに着いたので、チェックインする。部屋は禁煙だったが、中庭に面したバーがあり、テラス席は喫煙できたのでそこでビールを飲む。
 私はホテルの禁煙をきっちり守るようにしているので、バーでビールが飲めてそこで一服できたら大満足である。飛行機に二度乗った疲れも癒やされた。
 二日目は、朝食後八時にホテルを出発した。ボロブドゥールまでは四十二キロメートルの行程だ。
 ジャワ島はインドネシアの中西部に位置する、首都ジャカルタがある島だ。人口も多く一億三千八百万人で、世界第一位の人口を有する島だそうだ。国土の七パーセントに約六割の人口が集中しているのだそうで、人口密度も高い。しかし、国の大きさが半端ではないとも言える。
 島は西からバンテン州、ジャカルタ、西ジャワ、中部ジャワ、東ジャワに分かれている。東西に細長い島なのだ。
 火山が多いのでよく土石流がおこる。日本の技術を導入して、街に土石流が流れ込まないように砂防ダムを作っている。
 インドネシアは一六〇〇年代初頭から一九四二年までの約三百五十年間オランダの植民地だった。オランダ東インド会社の支配によりコーヒーやサトウキビやゴムなどの換金性の高い輸出用の単一作物を強制栽培させられるプランテーションが行われ、米が不足してあちこちで飢饉がおきた。それを不満としたインドネシア人は各地で独立への戦いを始めた。
 人種はマレー系のジャワ人がほぼ半数を占める。宗教はイスラム教が大半だ。
 モスクは多く、アラビアスタイル、ドーム型、ジャワ風など様々なスタイルのものがある。ミナレットも細いものや四角いものなど様々な形がある。
 一日五回のお祈りの時間にはアザーンが流れる。複数のモスクから聞こえるので重なって響く。
 ジャワ島には不思議な言い伝えが残っていた。十二世紀の王ジョボョの予言というもので、長い間白い人間に支配され、後に黄色い人間が空から降りてきて圧制者を追い払い、我々を解放してくれるというものだった。
 日本軍がオランダの植民地であったインドネシアからオランダ軍を駆逐したことはその予言の実現とみなされ、一九四二年二月十四日にスマトラ島に日本陸軍落下傘部隊約三百人が舞い降りた時、多くのインドネシア人が自分の娘を連れてきて、この娘に神の子を宿してほしいと言い、他の部隊の将兵たちは羨望嫉妬したのだそうだ。
 一九四五年八月、日本は敗戦、日本兵は帰還したが、約二千人の日本軍人がインドネシアに残り、武器の横流しやインドネシア独立軍の訓練などを行った。その後、独立戦争の戦闘に参加し多くの者は戦死したらしい。
 一九四五年十月二十五日、東部ジャワの州郡スラバヤにイギリス軍が入る。その結果イギリス軍とインドネシア独立派の間で戦争がおき、これがインドネシア独立戦争の発端となったのだそうだ。しかし一九四六年十一月にイギリス軍は完全撤退し、代わって再植民地化を狙うオランダが独立戦争の相手となった。戦争中にインドネシア独立派の政府ができ、スカルノが大統領になる。



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〈プロフィール〉
清水義範(しみず・よしのり)
1947年10月28日名古屋市生まれ。愛知教育大学卒業。81年『昭和御前試合』でデビュー。88年『国語入試問題必勝法』で第9回吉川英治文学新人賞を受賞。奇抜な発想とユーモアを駆使した小説やエッセイを次々と発表。著書多数。
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第七章 インドネシア〈バリ島〉(最終回)
第七章 インドネシア〈ジャワ島〉
第六章 マレーシア(下)
第六章 マレーシア(上)
第五章 カンボジア(下)
第五章 カンボジア(上)
第四章 ベトナム(下)
第四章 ベトナム(上)
第三章 ラオス(下)
第三章 ラオス(上)
第二章 タイ(下)
第二章 タイ(上)
第一章 ミャンマー(下)
第一章 ミャンマー(上)