第三回
新堂冬樹Fuyuki Shindou
「ちょっと待ってて」
聖が、席を立つのを気配で感じた。
南野はソファの背凭(せもた)れに身を預け眼を閉じると、大きく息を吐いた。
たしかに、スタッフにたいして厳しく当たり過ぎたのは認める。
しかし、感情に流されて叱(しか)ったことは一度もない。
すべては、「港南制作」の飛躍のため……引いては、社員の生活を守るためだった。
自分の判断が間違っていなかったのは、「ラストオネエ」と工藤達樹の話題が芸能ニュースを独占していることが証明していた。
ソファの振動で、聖が戻ってきたのがわかった。
聖が腕に触れた。
「悪い。いま、考え事してるから」
嘘ではなかった。
藤城の言う通り、「ラストオネエ」の制作が終わるまで会社には顔を出さないようにするべきか?
それとも、忠告を無視して出社するか?
だが、それをやってしまえば社員が職場放棄してドラマを制作できない。
なにより、「桜テレビ」のチーフプロデューサーが、「港南制作」に「ラストオネエ」の制作を委託する条件として南野が外れることを要求しているのだ。
南野が怒りやプライドで会社復帰することは即(すなわ)ち、「港南制作」が多額の損害賠償金を背負うことを意味する。
藤城の忠告に従い、おとなしく身を引いたのは会社を潰さないためだった。
ふたたび、聖が腕に触れた。
「考え事をしてるって……」
眼を開けた南野は、言葉の続きを吞(の)み込んだ。
「はじめまして、僕、パステルって言います」
聖の膝の上に、クリーム色の子犬が抱かれていた。
子犬は、円(つぶ)らな瞳で南野をみつめていた。
「その犬、どうしたんだ!? もしかして、買ったんじゃないだろうな!?」
南野は、咎(とが)める口調で問い詰めた。
「もう、そんな怖い顔しないでよ〜」
聖が、後ろから子犬の両前足を握り、南野の顔の前でパタパタさせた。
- プロフィール
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新堂冬樹(しんどう・ふゆき) 小説家。実業家。映画監督。98年に『血塗られた神話』で第7回メフィスト賞を受賞し、デビュー。“黒新堂”と呼ばれる暗黒小説から、“白新堂”と呼ばれる純愛小説まで幅広い作風が特徴。『無闇地獄』『カリスマ』『悪の華』『忘れ雪』『黒い太陽』『枕女王』など、著書多数。芸能プロダクション「新堂プロ」も経営し、その活動は多岐にわたる。