よみもの・連載

永遠の犬

第三回

新堂冬樹Fuyuki Shindou

 聖のプロポーズから半年後、二人は結婚した。
 こんな幕の引きかたしかできないなら、あのとき聖の気持ちに応えるべきではなかった。
 もしかしたら、変われるかもしれないと思った。
 愚かな勘違いで、一人の女性の人生と心に消えることのない傷をつけてしまった。
 ふくらはぎに、体温を感じた。
 眼を開けた。
 足元にお座りしたパステルが、南野を見上げていた。
 心なしか、心配そうな瞳をしていた。
 馬鹿げた考えを、すぐに打ち消した。
 人間同士も理解し合えないというのに、犬に自分の気持ちがわかるはずはない。
「もうすぐ、おじいちゃんが戻ってくるから」
 南野はパステルに言い残し、足早にリビングに戻った。
 小走りに、パステルがついてきた。
 南野がソファに座ると、パステルが後ろ足で立ちテーブルに前足をかけた。
 南野が飲んでいたコーヒーカップを、ペロペロと舐(な)め始めた。
「こら、なにをやってるんだ。やめなさい」
 慌てて南野は、コーヒーカップを遠ざけた。
 パステルがコーヒーカップを追いかけ、ソファによじ登ろうとした。
「なんだ、どうした? もしかして、喉が渇いてるのか?」
 南野はソファから腰を上げ、キッチンに向かった。
 ゴムマリのように弾みながら、パステルがあとをついてきた。
「いちいち、ついてこなくていいんだって」
 南野はため息を吐(つ)き、キッチンシンクの戸棚からシチュー皿を取り出し水を入れると床に置いた。
 パステルは、物凄い勢いで水を飲み始めた。
「もっとゆっくり飲まないと、気管支に入るぞ」
 呆れたように言いつつ、南野はダイニングキッチンの椅子に座った。
 この小さな身体のどこに入るんだろうというほどに、パステルは大量に水を飲み続けた。
 ようやく満足したのか、口の周りをびしょ濡れにしたパステルが匂いを嗅ぎつつダイニングキッチンをちょこちょこと歩き始めた。
 南野はスマートフォンのデジタル時計に視線を落とした。
 十一時を五分回ったところだった。
 聖は、午後に老人が迎えにくると言っていた。
 午後と言っても、一時かもしれないし夕方かもしれない。
 正確な時間を、訊(き)いておくべきだった。
 この調子で好き勝手に動き回られたら、眼を離せなくて考え事ができない。
 考え事……会社のこと、聖のこと。
 いまさら考えたところで、どうなるものでもない。
 掌(てのひら)の中でスマートフォンが震えた。
 ディスプレイに表示される名前に、胃がキリキリと痛んだ。
 出るかどうか迷ったが、南野は通話ボタンをタップした。

プロフィール

新堂冬樹(しんどう・ふゆき) 小説家。実業家。映画監督。98年に『血塗られた神話』で第7回メフィスト賞を受賞し、デビュー。“黒新堂”と呼ばれる暗黒小説から、“白新堂”と呼ばれる純愛小説まで幅広い作風が特徴。『無闇地獄』『カリスマ』『悪の華』『忘れ雪』『黒い太陽』『枕女王』など、著書多数。芸能プロダクション「新堂プロ」も経営し、その活動は多岐にわたる。

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