よみもの・連載

永遠の犬

第七回

新堂冬樹Fuyuki Shindou

 子犬の餌の回数は三、四回にわけるのが好ましい、トイレで失敗したときに叱っても無駄なので黙って素早く掃除する、要求吠えに応えると癖になるので徹底的に無視するか別の部屋に移動する、甘噛(あまが)みされているときに甲高い声を出したら遊んで貰っていると勘違いするので、無言で手を引くか低く大きな声を短く発する。
 説明のほんの一部でも、目から鱗(うろこ)が落ちるような情報ばかりだった。
 ほかにも、尻尾(しっぽ)を振っているのは喜んでいるばかりが理由ではなく感情が昂(たかぶ)っているシグナルという意味、あくびをするのは眠いばかりが理由ではなく緊張を和らげるシグナルという意味、顔を舐めるのは親愛の表現ばかりが理由ではなく塩分を摂取するシグナルという意味……犬がこれほど、奥の深い生き物だとは思わなかった。
 相変わらずパステルは、クレートの中で吠え続けていた。
「うるっさいな……我慢……無視だ」
 ここで根負けしてクレートから出してしまったら、吠え続ければ言うことを聞いてくれると学習させてしまうのだ。
 子犬特有の脳天から突き抜けるような声が、南野の神経を逆撫(さかな)でした。
「もうすぐだから……」
 待っててくれ……言葉の続きを、南野は慌てて呑み込んだ。
 飼い主がよくやりがちな失敗例として、要求に応えなくても声をかけてしまうというものだ。
 話しかけられた子犬は相手をして貰えると学習するので、要求吠えがエスカレートするというわけだ。
 吠え疲れたのか、パステルがおとなしくなった。
 頼むから、吠えないでくれよ……。
 南野は心で祈りつつ、スマートフォンのタイムウォッチをスタートさせた。
 一分が経(た)った頃に、南野がクレートに近づくと尻尾をブンブン振りながらふたたびパステルが吠え始めた。
 南野は背を向け、パステルが吠えやむのを待った。
 子犬を育てるのは、愛情と忍耐です。
「初めて子犬を迎え入れる方へ」の冒頭に書かれた一節が、南野の脳内に蘇った。
 パステルが静かになってから、タイムウォッチを計り始めた。
 一分経過……南野はパステルに背を向けたまま、彫像のように動かなかった。
 二分経過……ストップウォッチを止め、南野はゆっくりとクレートの前に屈んだ。
 円(つぶ)らな黒い瞳が、南野をみつめていた。
 吠えるなよ……。
 南野はアイコンタクトで語りかけ、そっと扉を開けた。
 パステルが、お尻ごと尻尾を振りながら南野の懐に飛び込んできた。

プロフィール

新堂冬樹(しんどう・ふゆき) 小説家。実業家。映画監督。98年に『血塗られた神話』で第7回メフィスト賞を受賞し、デビュー。“黒新堂”と呼ばれる暗黒小説から、“白新堂”と呼ばれる純愛小説まで幅広い作風が特徴。『無闇地獄』『カリスマ』『悪の華』『忘れ雪』『黒い太陽』『枕女王』など、著書多数。芸能プロダクション「新堂プロ」も経営し、その活動は多岐にわたる。

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