よみもの・連載

永遠の犬

第八回

新堂冬樹Fuyuki Shindou

「パステル、はじめまして」
 三村が腰を屈め、サークル越しにパステルに語りかけた。
 パステルは午前中にペットショップで購入したゴムボーンを夢中になって齧(かじ)っていた。
「ほら、パステル。おじさんがご挨拶しているよ」
 南野が声をかけるとパステルが跳ね起き、ゴムボーンをくわえたまま駆け寄ってきた。
 南野はパステルを抱き上げ、三村に渡した。
「ごめんね。歯磨きをしているときに。しばらく、おじちゃんの相手をしてね」
 三村は優しくパステルに語りかけながら右手を腋(わき)の下に回し込み、掌(てのひら)で肩と胸を包み、左手を腹部に差し入れお尻を支えるように抱いた。
 パステルに負担のかからない抱きかた一つを見ても、三村が子犬の扱いに慣れているのがわかった。
「いい子にご飯を食べて、運動もしっかりしているみたいだね。偉いね〜、パステルは」
 南野と話すときよりも高い声で、三村がパステルを褒めた。
 二頭のゴールデンレトリーバーを終身飼育しただけのことはあり、パステルにたいしての接しかたは南野より遥(はる)かに手慣れていた。
 しかし、パステルは尻尾を振ることもなく、ぬいぐるみのように動かなかった。
 ペットショップで、店員やほかの犬の飼い主に駆け寄りちぎれんばかりに尻尾を振っていた犬とは別犬のような素っ気なさだった。
 三村と相性が悪いのだろうか?
 南野は心のどこかで、それを望んでいる自分に気づき慌てて打ち消した。
 三村がパステルのお尻を支えている左手から、液体が滴り落ちた。
 鼻孔を刺激するアンモニア臭……嫌な予感がした。
「あらあら、ちっこしたのかな?」
 三村は慌てたふうもなく、のんびりした口調でパステルに話しかけた。
「すみません、こらっ、だめだろ!」
 南野は三村の腕からパステルを受け取り、瞳を見据え叱りつけた。
「あ、怒らないであげてください。私なら大丈夫ですから」
 言葉通り、三村は気を悪くした様子もなく穏やかな表情で言った。
「いや、でも、おしっこで洋服が……」
「本当に、大丈夫です。こういうのには慣れていますから。それに、犬はなぜ怒られているのかわからないものですよ。それどころか、怒られているとさえ思っていない場合もあります。ほら」
 三村が微笑みながら、左右に激しく動くパステルの尻尾を指差した。

プロフィール

新堂冬樹(しんどう・ふゆき) 小説家。実業家。映画監督。98年に『血塗られた神話』で第7回メフィスト賞を受賞し、デビュー。“黒新堂”と呼ばれる暗黒小説から、“白新堂”と呼ばれる純愛小説まで幅広い作風が特徴。『無闇地獄』『カリスマ』『悪の華』『忘れ雪』『黒い太陽』『枕女王』など、著書多数。芸能プロダクション「新堂プロ」も経営し、その活動は多岐にわたる。

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