よみもの・連載

永遠の犬

第十二回

新堂冬樹Fuyuki Shindou

 パステルと朝晩三キロずつのパトロールをこなし、深酒をしなくなったおかげで南野は二週間あまりで四キロも痩せた。
 食欲は旺盛になったのに体重が落ちるということは、摂取と代謝のバランスが取れている証だ。
 身体が健康になると心にも余裕ができて、五感が研ぎ澄まされてくる。
 金木犀(きんもくせい)の香り、シジュウカラの囀(さえず)り、雨上がりの濡(ぬ)れた土の匂い、月明かりを反射する草木の白露、色なき風の肌触り……もう何年、いや、十年以上忘却していた自然のサインに気づくようになった。
 パステルと暮らし始めてから、すべてが順調に運んでいるように感じた。
 唯一、近江明人のキャスティング以外は……。

 ──今日は、本当に申し訳ありませんでした。近江さんは、大丈夫でしたか?
 
 パステルの容態が落ち着き、自宅に帰ってから南野は島内に電話をかけた。

──はい。近江からの伝言ですが、電話で話すより日を改めて会いましょう、とのことでした。
──やはり、怒っておられいましたか?
 
 南野は、恐る恐る訊ねた。

──いえいえ、怒るなんてとんでもない。奥様の容態を心配していました。電話で話さないほうがいいと言ったのも、南野社長の精神状態を気遣ってのことでしょう。
──それを聞いて、安心しました。なるべく早い段階で近江さんにお会いして謝罪をしたいのですが、次の打ち合わせはいつ頃になりますでしょうか?

 とりあえず最悪の事態は免れたが、島内の言葉を鵜呑(うの)みにするわけにはいかなかった。
 本当の意味で安堵できるのは、近江との打ち合わせ日が決まったときだ。
 
──明日からしばらくは近江のスケジュールが詰まっていますので、十月に入ってからになります。候補日がわかり次第、こちらからご連絡致しますので。

 島内との電話を切って南野の頭に真っ先に浮かんだのは、「日東テレビ」の篠宮(しのみや)の顔だった。
 篠宮と約束した近江のキャスティングの期限は九月一杯……十月だと約束を違(たが)えてしまう。
 話の運びかた次第では、「日東テレビ」とのドラマ制作委託契約の話も流れる可能性があった。

プロフィール

新堂冬樹(しんどう・ふゆき) 小説家。実業家。映画監督。98年に『血塗られた神話』で第7回メフィスト賞を受賞し、デビュー。“黒新堂”と呼ばれる暗黒小説から、“白新堂”と呼ばれる純愛小説まで幅広い作風が特徴。『無闇地獄』『カリスマ』『悪の華』『忘れ雪』『黒い太陽』『枕女王』など、著書多数。芸能プロダクション「新堂プロ」も経営し、その活動は多岐にわたる。

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