よみもの・連載

永遠の犬

第十二回

新堂冬樹Fuyuki Shindou

 本人にも言った通り、ポニーテールにしているいまと違いペットショップで会ったときは髪を下ろしていたので雰囲気が違った。
「いいえ、一度お会いしただけなのに、こんな早朝にいきなり声をかけられてもわかりませんよね。改めまして、白井奏(しらいかなで)と言います」
 女性が屈託のない顔で笑い、自己紹介した。
「南野です。お散歩ですか?」
 南野も名乗り、パステルの肛門(こうもん)を嗅ぐ柴犬に視線を移し奏に訊ねた。
 犬が肛門を嗅ぐのは人間で言う名刺交換だと、ネットで読んだことがある。
 初体験のパステルは戸惑ったような顔で腰を落とし、固まっていた。
「ええ。普段はもう少し遅い時間なんですけど、今日は午前中に用事があって早めに連れ出しました」
「パステルはまだパトロールデビューして二週間くらいなので、挨拶もきちんとできなくて」
 肛門の匂いを執拗(しつよう)に嗅ごうとする柴犬から、腰を落とし気味にして時計回りに逃げ回るパステルを見て南野は苦笑いした。
「パトロール?」
 奏が首を傾(かし)げた。
「あ、ごめんなさい。散歩のことです」
 南野の苦笑いが照れ笑いに変わった。
 他愛のない会話に、安らぎを感じる自分がいた。
 初めての感覚だった。
 いままでは、どうしたらプロダクション相手に有利に話を進められるか、どうしたら視聴率の取れる俳優を自社制作のドラマに出演させられるか、どうしたらスタッフにやる気を起こさせられるか……ほとんどの対人関係に駆け引きがついて回った。
 唯一、聖(ひじり)にたいして駆け引きをする必要はなかったが会話自体が少なかった。
 いま思えば、家に帰っても頭の中は仕事のことばかりで妻とのコミュニケーションの優先順位は低かった。
 夫婦水入らずの旅行をしたい、一緒に習い事をしたい、庭の花壇のデザインを変えたいからアイディアを出し合おう……そんな話に費やす時間があれば、視聴率の取れるドラマの脚本やキャスティングについて思惟(しい)を巡らせたかった。

プロフィール

新堂冬樹(しんどう・ふゆき) 小説家。実業家。映画監督。98年に『血塗られた神話』で第7回メフィスト賞を受賞し、デビュー。“黒新堂”と呼ばれる暗黒小説から、“白新堂”と呼ばれる純愛小説まで幅広い作風が特徴。『無闇地獄』『カリスマ』『悪の華』『忘れ雪』『黒い太陽』『枕女王』など、著書多数。芸能プロダクション「新堂プロ」も経営し、その活動は多岐にわたる。

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