よみもの・連載

永遠の犬

第十二回

新堂冬樹Fuyuki Shindou

「ワンコの肛門は情報のデパートですか。流行語大賞にノミネートされそうな名言ですね」
 南野が茶化すように言うと、奏が噴き出した。
 自然と、南野の口もとも綻んでいた。
 冗談を口にしたのは……もう、思い出せないほどに遠い昔だった。
「ご挨拶、よくできました!」 
 奏が言うと、パステルが前足を伸ばしお尻を高く上げて尻尾を勢いよく振り始めた。
 茶太郎も、パステルと同じ姿勢で向かい合った。
「プレイング・バウ……仲良しになりたい相手を遊びに誘うポーズです」
 奏が笑みを湛(たた)えながら言った。
 パステルと茶太郎がほとんど同時に後ろ足で立ち上がると、相撲(すもう)のようにがっぷり四つに組み合った。
 パステルは中型犬なので生後四ヵ月でも十三キロあり、既に柴犬の茶太郎より体が大きかった。
 しかし、成犬の茶太郎の力は強くパステルはすぐに押し倒された。
 馬乗りになった茶太郎がパステルの喉を軽く咬(か)んで押さえつけると、素早く離れた。
 すっくと起き上がったパステルがふたたび立ち相撲を挑んだが、リプレイ映像を観ているように呆気(あっけ)なく押し倒され、馬乗りになられて喉を咬まれた。
「こうやって、子犬はどこまでやったら相手を傷つけてしまう、どこまでだったら相手を傷つけないという力加減を学んでゆきます」
 奏は眼を細め、溌溂(はつらつ)とじゃれ合う二頭を微笑ましくみつめた。
「犬の世界も、奥が深いんですね」
 話を合わせたわけではなく、動物の本能に南野は感心していた。
 パステルは倒されても倒されてもすぐに跳ね起き、何度も茶太郎に挑んでいた。
「社会化期に学ぶ機会のなかったコは、成犬になったときに驚いたり怯(おび)えたりして人間やほかの犬を咬む場合もあります。でも、人間みたいに悪意や欲で誰かを傷つけることはありません。人間もこのコ達みたいに純粋な心を持ち続けられるなら、この世に戦争なんて起こらないんでしょうけどね」
 それまでの微笑ましい顔から一転した憂いを帯びた横顔……奏の言葉が、南野の胸を貫いた。
 彼女に他意がないのはわかっているが、南野は自分のやってきたことを言われたような気がした。
 しつこく相撲を挑むパステルに、辟易(へきえき)としたのか今度は茶太郎が逃げ回り始めた。
 パステルは遊んで貰っていると勘違いし、嬉(うれ)しそうに茶太郎を追い回した。
 パステルと茶太郎のリードが絡み合い、屈んでいた南野と奏は彼らの勢いに引っ張られ申し合わせたように尻餅をついた。
 顔を見合わせて笑う南野と奏に、泥だらけのパステルと茶太郎が駆け寄ってきた。
 これが夢なら……。
 南野は、心に浮かんだ思いの続きを打ち消した。
 牙を失った獣は二度と、敵と戦うことができなくなるのだから。

プロフィール

新堂冬樹(しんどう・ふゆき) 小説家。実業家。映画監督。98年に『血塗られた神話』で第7回メフィスト賞を受賞し、デビュー。“黒新堂”と呼ばれる暗黒小説から、“白新堂”と呼ばれる純愛小説まで幅広い作風が特徴。『無闇地獄』『カリスマ』『悪の華』『忘れ雪』『黒い太陽』『枕女王』など、著書多数。芸能プロダクション「新堂プロ」も経営し、その活動は多岐にわたる。

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