第二章 第三回
新堂冬樹Fuyuki Shindou
☆
待合室の椅子に座った南野は、テーブルの上に置いたスマートフォンの時計を見た。
パステルが手術室に運び込まれて、十分が過ぎた。
午前八時を回ったばかりなので、待合室には南野しかいなかった。
リラクゼーションミュージックが流れる十坪ほどの室内はオフホワイトの壁紙と調度品で統一され、ところどころに観葉植物が配置されていた。
奏からは、タクシーに乗っているときに連絡が入った。
茶太郎を家に連れ帰ってからすぐに駆け付けると言っていたので、まもなく到着するはずだ。
電話で奏は、マスチフの飼い主を訴えるべきだと憤っていたが、いまはパステルの無事を祈ること以外に考える余裕はなかった。
ルーツが闘犬のマスチフの咬む力は凄(すさ)まじく、パステルの傷は相当に深かった。
タクシーを拾うのにかなり手間取ったので、パステルの出血の量が心配だった。
グレイのウォームアップジャケットの両腕を染める血を見ると、南野の胸は張り裂けそうになった。
茶太郎を救出しようとしてマスチフに襲われた南野を、パステルは命を擲(なげう)ち助けてくれた。
咬まれた傷口や出血はもちろんだが、心配はほかにもあった。
──出血よりも、眼に見えないダメージのほうが心配です。
南野は、パステルの触診をしていたときの獣医師の言葉を思い浮かべた。
──どういう意味ですか?
──人間でたとえるなら、一般的な体格の男性が力士やプロレスラーに振り回されアスファルトに叩きつけられたようなものです。骨折や内臓の損傷があった場合は、厄介なことになります。
「お疲れ様です。パステルは、大丈夫ですか!?」
奏の声が、回想の中の獣医師の声に重なった。
- プロフィール
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新堂冬樹(しんどう・ふゆき) 小説家。実業家。映画監督。98年に『血塗られた神話』で第7回メフィスト賞を受賞し、デビュー。“黒新堂”と呼ばれる暗黒小説から、“白新堂”と呼ばれる純愛小説まで幅広い作風が特徴。『無闇地獄』『カリスマ』『悪の華』『忘れ雪』『黒い太陽』『枕女王』など、著書多数。芸能プロダクション「新堂プロ」も経営し、その活動は多岐にわたる。