連載
金四郎と九十郎
第一編 養子と実子 多田容子 Yoko Tada


 江戸大川の河原は、麗(うら)らかな春の日和である。遠くに小舟が行き交い、空には青が透けるような淡い雲が浮かぶ。晴れ続きで乾いた砂利の上を、一人の若い侍と、いくらか年上の女が歩いていた。
 若侍は、すらりとした身で、灰色がかった紺の小袖を纏(まと)い、鼠の縞(しま)の袴をはいている。布目と仕立てがよく、見る者が見れば、すぐに上士と分かる出で立ちだ。顔は地味に整っているが、姿形のどこからか、花がこぼれ咲くような匂いが立ち昇っていた。「若様」とは、このような武士のためにある語だと、思わされる様子だ。
 隣の女は小粋な柳腰で、鶯色の着物に、赤みの襟をのぞかせ、素足の下駄履きだった。すでに二十歳か、それを越える歳と見え、姐御風(あねごふう)の装いながら、白雲にぼんやりと桃色を差したような頬は、いとも柔らかげで、娘盛りと見紛うような愛くるしさを醸(かも)していた。それでいて、目がやや鋭い。
 二人は、とても不釣り合いに見える。柳腰の女が、無造作に下駄を前へ送りつつ言った。
「私も観たかったわ」
 女は、何か思い浮かべるような表情をした。
「上様って、どんなお方なの?」
 唐突に、そう尋ねる。
「どんなと言って……芸道にも明るいご主君としか、言えないなあ」
 困った顔で、若侍はぼそりと応える。
「まあ、無難に逃げるのね。九十郎(くじゅうろう)様って案外、つまらない」
「珠吉(たまきち)師匠が大胆過ぎるのだろう」
「よく言うわ。十八の若さで御前舞(ごぜんま)いの大役を受けちまうほうが、よっぽど大胆だと思うけど」
 少し前へ進んだ女は、若侍の顔をうかがい見るような目で振り返る。女は、珠吉という唄の師匠だ。今は市井で、上は旗本から下は職人や商人、芸者に至るまで、幅広い弟子をとっているが、元は能楽の家の娘である。名はお珠といった。
 芸能者はおおむね低い身分とされる中、能楽師は、徳川幕府から厚く遇されていた。能は武士の嗜(たしな)みとされ、大名なども習うことから、その宗家は士分に準ずる格を与えられている。下級武士に比べれば、よほど名のある権威だ。お珠の父は、銀春禅風(ぎんぱるぜんぷう)というシテ方の名人である。銀春流は大和国に古くから伝わる流儀で、祖先は世阿弥(ぜあみ)の娘婿であったともいわれる。
 若侍は堀田(ほった)九十郎。大身旗本、堀田彦三郎(ひこさぶろう)の世継(よつぎ)だ。十三歳で禅風の弟子となり、わずか五年で、独特の舞いの才を表わした。密かに評判が広がり、大名家の宴などに呼ばれるようになって、ついに昨日、将軍家の御前で能を披露するという栄に浴した。


1         10 11 12 13 14 15 次へ
 
〈プロフィール〉
多田容子(ただ・ようこ)
1971年生まれ。京都大学経済学部卒業。99年、剣豪小説『双眼』でデビュー。柳生新陰流、小転中伝。2004年、兵庫県芸術奨励賞受賞。著書に『柳影』『月下妙剣』『柳生平定記』『諸刃の燕』『おばちゃんくノ一小笑組』シリーズ、『自分を生かす古武術の心得』『新陰流 サムライ 仕事術』などがある。
Back number
第三編 町の恋 後2
第三編 町の恋 後
第三編 町の恋 前2
第三編 町の恋 前
第二編 掏摸(すり)と黒津屋2
第二編 掏摸(すり)と黒津屋
第一編 養子と実子2
第一編 養子と実子