連載
金四郎と九十郎
第一編 養子と実子 多田容子 Yoko Tada
 九十郎は、能の稽古に飽き足らず、珠吉のもとで流行り唄も習っている。見た目の動きを極力抑え、不可思議な世界へ自他を誘(いざな)う能も素晴らしいが、軽やかで奔放な町方の芸にも心惹かれるのだ。
「大先生に言わせれば、私が方々に呼ばれるのは、鹿が柔らかい若葉を好んで食するのに同じ、だそうだ」
「父上ったら、また何だかややこしいものの言い方をするのね」
「新芽は口当たりがよく美味だが、それを食うて冬まで生き抜けるわけではない。最も人の腹を肥やし、涙させるのは、やはり秋の実の味わいだ」
 お珠は、とんとんと軽く運んでいた下駄を、一瞬、止めた。
「私は、九十郎様の芸を、ただの新芽だとは思っていないわ」
 真顔で、鶯色の袖をつまみ、左右をそっと合わせながら続ける。
「三十くらいになっても、上へ上へとただ伸びるような勢いで、舞ったり唄ったりする人もいる。特に、殿方にはそういう人が多いのよ。でも、九十郎様は何か違う」
「どう違うのだ?」
「うーん、分からないわ」
 お珠は、うまく言えない苛立(いらだ)ちからか、口を尖らせ、身を小さく揺すった。九十郎は、その姿を見て静かに微笑んだ。

 間もなく、河原沿いに一軒の料理茶屋が見えてきた。九十郎は歩みを緩(ゆる)め、わずかにうつむく。やや緊張した面持ちである。再び顔を上げると、目の前を屈託ない趣きで歩く、お珠の背を見た。
「お珠」
 九十郎は、優しい声で呼びかける。
「何ぁに?」
 お珠は振り返った。
「ちと……休んでゆかないか」
 九十郎は、茶屋のほうへ目を遣(や)った。つられる風に、お珠もその方を見る。虚を突かれたように横を向いた瞳は、きらりと艶を帯びている。お珠は、にわかには応えず、黙った。九十郎は落ちつかない様子で、川のほうへ目を外す。
 その時──。
 斜め前の河原に、何か妙なものが見えた。川から流れついた魚のようだが、あまりにも大きい。
「何だろう、あれは?」
 眉を寄せる九十郎の表情に、お珠も気づいて、またその目の先を追う。そして、首を傾けた。九十郎はゆっくりと川へ近づく。
「あっ」
 突然、お珠が声を漏らし、九十郎の背に隠れた。それは、水を含んで太り切った土左衛門(どざえもん)、つまり溺死人だった。九十郎は土左衛門の側に行って腰を落とすと、念のため、倒れた男の息を探る。


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〈プロフィール〉
多田容子(ただ・ようこ)
1971年生まれ。京都大学経済学部卒業。99年、剣豪小説『双眼』でデビュー。柳生新陰流、小転中伝。2004年、兵庫県芸術奨励賞受賞。著書に『柳影』『月下妙剣』『柳生平定記』『諸刃の燕』『おばちゃんくノ一小笑組』シリーズ、『自分を生かす古武術の心得』『新陰流 サムライ 仕事術』などがある。
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