連載
金四郎と九十郎
第一編 養子と実子 多田容子 Yoko Tada
 半左衛門は笑って、汗を拭いた。
「お奉行、まだ御裃(おんかみしも)はお召しにもなってございませぬぞ」
「はははっ」
 金四郎は笑い飛ばし、扇を使いながら座を立った。

 奉行所から知らせを受けた九十郎は、急ぎお珠の家を訪れた。小さな借家だが、露地の奥にあり、格子戸の前には躑躅(つつじ)などの植木が趣きを添えている。中には稽古場もあった。とりあえず、お珠が出した白湯(さゆ)を一口飲んでから、九十郎は端座した。
「落ちついて聞いてくれ」
「ええ」
 お珠は少し汗ばんだ九十郎の額や首のあたりを見る。
「昨日、川へ上がった者だが、あれは我らの知(し)り人(びと)であった」
「…………」
「近江屋の徳之助だ」
「まさか……」
 すぐに、お珠は首を横に振った。
「私もまるで気づかなかった。溺れて、姿が変じてしまったらしいな」
 九十郎は一瞬、声を詰まらせ、息とともに唾を呑み下した。
「しかし、今朝、父の近江屋らが確かめ、間違いなしと言ったそうだ」
 お珠は、がくりと手を突き、目を落とした。徳之助は、お珠の唄の弟子だった。九十郎も時折、ここで顔を合わせ、何度か話したこともある。
「若旦那は身投げなんてしないわ」
 お珠は言って、唇を噛んだ。
「今の曲を仕上げるの、あんなに楽しみにしてたんだもの」
 九十郎はいたたまれない気持ちになった。
「私も、不可解に思う」
「でも──」
 と、お珠はまた力をなくし、畳の目をぐずぐずと指でなぞる。
「ここんとこ、二度ほどはお休みしてたわ」
 お珠の目には涙が浮かんでいた。
「どうして、何も話してくれなかったのかしら。半年ほど前、恋仲だったあるお店のお嬢様と別れて、その時は辛そうだったけど……やっと近頃、ご機嫌を取り戻していたのよ。家でも、お父っつぁんやおっ母さんに恵まれて、私は幸せ者だって、いつも言ってた」
 九十郎は、どう言葉をかけてよいか分からず、ただ、ちびちびと白湯を飲んだ。
 しばらくして、お珠が我に返った風に居ずまいを直す。
「ごめんなさい」
 涙を拭い、九十郎の湯呑みに白湯を注ぎ足す。
「知らせに来てくれて、ありがとう。私、近江屋さんにお悔やみを申し上げに行くわ。お父っつぁんのほうにも、随分、世話になっているし」
「うむ」


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〈プロフィール〉
多田容子(ただ・ようこ)
1971年生まれ。京都大学経済学部卒業。99年、剣豪小説『双眼』でデビュー。柳生新陰流、小転中伝。2004年、兵庫県芸術奨励賞受賞。著書に『柳影』『月下妙剣』『柳生平定記』『諸刃の燕』『おばちゃんくノ一小笑組』シリーズ、『自分を生かす古武術の心得』『新陰流 サムライ 仕事術』などがある。
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