連載
金四郎と九十郎
第一編 養子と実子 多田容子 Yoko Tada
 九十郎は箸を置いて一寸退がり、膳の前に手を突いた。
「すみません、母上、悪いのは私でございます」
 素早く言って、頭を下げる。
「父上、今しばらくご猶予をくださりませ。出かけていても、学問はいたしますので」
「学問はいたします?」
 彦三郎は、声の尻を強く上げて言い返した。
「もう聞き飽きたぞ。能を稽古しても学問はいたします。塾へ参らずとも、学問はいたします。それで、いついたしたのじゃ。夜更けに書物を二、三枚めくるのが学問ではないぞ」
「はい、申し訳ございません」
「お前の申しておるのは嘘じゃ。武士に二言があってよいと思うのか」
「いいえ」
「恥を知れっ」
 彦三郎は怒鳴りつけた。九十郎は、手を突いたまま唇を噛む。ぐっと目を閉じてから、顔を上げて何か言おうとした。が、その前に、彦三郎がまた口を開く。
「芸道など、いくら打ち込んでも所詮、よいところは宗家がもってゆく。分かっておろうが」
 彦三郎は大きな溜め息をついた。
「お前は確かに見映えはする。が、見かけ倒しであったわ」
 九十郎は伏せたまま、一言もなくうなだれた。
「よいか、それでもお前は堀田家の世継じゃ。いまだに次男坊か三男坊のつもりでおられては困る。養子とは、常ならば人一倍家に尽くすもの。遠山家の先代、景晋(かげみち)殿などは、永井家から養子に入り、血の滲むような努力をなされて、ご公儀の学問吟味で主席を取った。おかげで、今日の遠山家の繁栄があるのじゃ」
 九十郎の目には、涙が滲んでいた。しかし、懸命に押し殺し、膳の横面(よこづら)を見据える。
「もうよい、手をあげよ。食うたら、すぐに書物へ向かうのじゃ」


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〈プロフィール〉
多田容子(ただ・ようこ)
1971年生まれ。京都大学経済学部卒業。99年、剣豪小説『双眼』でデビュー。柳生新陰流、小転中伝。2004年、兵庫県芸術奨励賞受賞。著書に『柳影』『月下妙剣』『柳生平定記』『諸刃の燕』『おばちゃんくノ一小笑組』シリーズ、『自分を生かす古武術の心得』『新陰流 サムライ 仕事術』などがある。
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