連載
金四郎と九十郎
第二編 掏摸(すり)と黒津屋 多田容子 Yoko Tada


 江戸の大通りはいつも賑やかだ。お珠は、往来の端で、馴染みの花屋に声をかけた。
「今日も綺麗に咲かせてるわね」
「こりゃどうも、珠吉(たまきち)師匠」
 小男は、担いでいた棒を置いて笑った。前後に三段の笊籠(ざるかご)がついていて、季節の花がいっぱいに盛られている。
「今朝は橘(たちばな)が見頃ですよ」
 お珠は、青々とした葉の白い花に目を留める。
「そうね。今日の気分は、牡丹(ぼたん)より橘ね」
「へぇー、何かございますんで?」
「大事なお弟子さんが来るのよ」
「唄のご指南も大変ですね。身分のあるお方だったら、牡丹のほうが華やかですが」
 花売りは、下の段から淡い紅色の牡丹を取り出した。
「身分ねぇ──」
 お珠は考える風に、若竹色の半襟へ手を遣(や)った。衣は、夏を先取りした明るい鳥(とり)の子(こ)色(いろ)の帷子(かたびら)である。
「身分が高いといえば高いけど、そんなことはあまり気にならないわ」
「気さくなお弟子さんなんですねぇ」
「ええ……でも、よく考えてみると、気さくということもない。けっこう生真面目な方だから」
 花売りは苦笑した。
「何かよく分からねぇお人みてぇですね。生真面目なのに、気を遣わねぇなんて」
 お珠は、袖先を口元へ持ち上げて笑った。
「おかしいかしら」
「とにかく、師匠が楽しそうなのは分かりやす」
「ええ。私のほうはいつもぽんぽんものを言うのよ。向こうは生真面目だけど、優しいんじゃないかしら。だから、別に怒ったりしない」
「そのお弟子ってのは、男ですかぇ?」
「そうよ」
 お珠は、年よりも娘っぽい、桃色の頬を緩(ゆる)める。
「駄目ですぜ、師匠、そんな隙(すき)だらけの顔しちゃ。稽古で口説(くど)かれちまいますよ」
「あははっ、何言っているの」
 お珠はまた笑った。
「じゃあ、この可愛い橘の枝花をちょうだい」


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〈プロフィール〉
多田容子(ただ・ようこ)
1971年生まれ。京都大学経済学部卒業。99年、剣豪小説『双眼』でデビュー。柳生新陰流、小転中伝。2004年、兵庫県芸術奨励賞受賞。著書に『柳影』『月下妙剣』『柳生平定記』『諸刃の燕』『おばちゃんくノ一小笑組』シリーズ、『自分を生かす古武術の心得』『新陰流 サムライ 仕事術』などがある。
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