連載
金四郎と九十郎
第三編 町の恋 前 多田容子 Yoko Tada
  一

その頃、江戸の町は犬飼(いぬか)いの権六(ごんろく)という盗賊に荒らされていた。
「これで八軒目でございます」
 町方同心の幾田半左衛門(いくたはんざえもん)は、奉行所で遠山金四郎に報じた。
「日本橋から深川まで、方々の町に出ますので、的のしぼりようがありません」
「うむ」
 羽織を着た奉行姿の金四郎は、腕を組み、用部屋の畳の目をにらんでいる。
「盗っ人の中には、念入りに下調べをして潜入する者もおるが、権六は手当たり次第じゃからな」
 権六一味は、夜中、商家の戸を叩き、辻斬りに追われているので助けてくれ、などと称して開けさせると、その後は、主人や番頭に、匕首(あいくち)を突きつけて脅し、蔵まで案内させた。大勢の子分連れで、逆らった者は容赦なく殺すというやり口である。
「やつどもの手口が判明した後は、夜中に戸を開けぬよう、町に触れを出したはずじゃが」
「それ以来、辻斬りではなく、急な腹痛、怪我などを装うようになりました。昨夜の一件では、権六一味を追う目明しのふりをして、盗っ人どもがこのあたりに逃げたので話を聞かせろと申し、開けさせたようです」
「悪知恵だけは、立派に回るやつらじゃな」
「全くでございます」
 半左衛門は、黒い同心羽織の下に着た茶格子(ちゃごうし)の衣を、いまいましげに握り締めた。

 同じ頃、金四郎の弟、堀田九十郎(ほったくじゅうろう)は、珠吉(たまきち)ことお珠のところで、唄の稽古をしていた。広い場所ではないが、座敷になっていて、床(とこ)には菖蒲(しょうぶ)が生けてある。
「九十郎様は、もともと喉(のど)がいいんでしょうねぇ」
 お珠は三味線を抱えて言った。辰巳(たつみ)芸者を思わせる黒の着物に、曙(あけぼの)の襟(えり)をのぞかせている。
「そうか?」
 九十郎は純朴な声音で問い返した。部屋の隅では、次の稽古を待つ十四、五の娘が、おとなしく座っている。垢ぬけてはいないが、身綺麗で美しい少女だ。
「十三で初めて謡(うたい)を習い出したなんて、信じられないわ」
「禅風(ぜんぷう)先生には、そよ風がさざ波を立てるほどの力しかないと言われるが」
「さざ波なんて、いいじゃない、耳心地がよくて。ふつうの人は、むきになってばちゃばちゃとうるさいのよ。この間もね──」
 お珠はにわかに声を落とした。
「三河屋の番頭さんが来た時、隣のお梶(かじ)さんが文句を言ってきたんだから」


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〈プロフィール〉
多田容子(ただ・ようこ)
1971年生まれ。京都大学経済学部卒業。99年、剣豪小説『双眼』でデビュー。柳生新陰流、小転中伝。2004年、兵庫県芸術奨励賞受賞。著書に『柳影』『月下妙剣』『柳生平定記』『諸刃の燕』『おばちゃんくノ一小笑組』シリーズ、『自分を生かす古武術の心得』『新陰流 サムライ 仕事術』などがある。
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