よみもの

◆2018年新春座談会 安部龍太郎×村木嵐×原口泉◆  
□維新の始まり―薩摩にはペリー来航の二十九年前、「外圧」の前史があった
江口
それでは、本題に入りたいと思います。明治維新がいつごろから始まって、いつまでの期間をさすのかについては研究者らによって差がありますね。
安部
一般的には、一八五三(嘉永六)年のペリー来航と言われることも多いですよね。ペリー来航は非常にセンセーショナルな事件だから、それを区切りにするのはいいと思います。薩摩藩を見ると、一八三二(天保三)年ごろから(藩が支配していた)琉球にイギリスやアメリカなどの船が来ている。僕はそのあたりから視野に入れたほうがいいだろうと思っています。
村木
安部さんはよく、この鹿児島にも来られているから、そうお感じになる部分もあるんでしょうか。
安部
かもしれないですね。あと、僕は(薩摩藩家老で天保年間に藩の財政改革を進めた)調所笑左衛門広郷(ずしょしょうざえもんひろさと)の小説『薩摩燃ゆ』を書きました。なので、島津家や薩摩藩の諸改革の動きをとらえる場合は、長いスパンで見ていかないといけないという感覚を覚えました。 
原口
ペリー来航は確かに衝撃的でしたね。だけど、薩摩から見れば一八二四年に宝島事件[文政七年八月、トカラ列島の宝島(現・鹿児島県十島村)にイギリスの捕鯨船が来島し、船員が上陸して食用のために牛を射殺。イギリス人一名が島役人に射殺された。この事件が要因となって翌年、幕府は異国船打払令を出した]が起こっているわけです。
 その次に一八三七(天保八)年に有名なモリソン号事件[浦賀に来航したアメリカ船が通商を求めた]が起きました。その時に十代だった西郷隆盛ら、藩の青年たちも日本が植民地化されるのでは、という危機意識を持つようになっています。
 さらに、薩摩藩は一八四四(天保十五)年、琉球王国にフランス艦隊が来て開国を要求するという現実にも直面しています。次の年にはイギリスがやってきて同じような要求をしていて、それらへの対応で薩摩藩の官僚はずっと外国に関わっていくという経験を積みます。ほかの藩はどこも経験をしていないはずなんです。「外圧」を受け、領民も日本が植民地化されるという危機意識を強く持ったのです。
 さらに、一八〇八(文化五)年の(イギリスの軍艦がオランダ船を追って長崎港に侵入した)フェートン号事件で、佐賀藩も危機意識を持つようになります。やはり、薩長土肥といわれる日本の西の辺境から、外圧に対抗するにはどうすればいいかという課題が広がり、全国各地で考えるようになったと思います。  
ちょっと講義っぽくなってしまいましたね (笑) 。
安部
いやいや、よくわかりました。
村木
原口先生の生徒になった気分です (笑) 。


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〈プロフィール〉
安部龍太郎

1955年福岡県生まれ。図書館に勤務するかたわら、短編で日本全史を網羅した『血の日本史』で90年デビュー。2005年『天馬、翔ける』で第11回中山義秀文学賞を受賞。13年『等伯』で第148回直木賞を受賞。著書に『信長燃ゆ』『海神』『関ヶ原連判状』『恋七夜』『宗麟の海』ほか多数。
村木 嵐

京都府生まれ。2010年『マルガリータ』で松本清張賞を受賞しデビュー。著書に『雪に咲く』『島津の空帰る雁』『地上の星』など。
原口 泉

1947年鹿児島県生まれ。鹿児島県立図書館館長。志學館大学教授。鹿児島大学名誉教授。東京大学文学部卒、文学修士。専門は日本近世史・近代史で、薩摩藩や琉球史に詳しい。大河ドラマ「西郷どん!」の時代考証にも携わっている。
司会/集英社文庫編集長
江口 洋