よみもの

◆2018年新春座談会 安部龍太郎×村木嵐×原口泉◆  
江口
村木さんはどのように思いますか?
村木
私の認識はまだ中学生のころから更新されていないのですが、個人的には一八六八年の「王政復古の大号令」が出されたあたりだと思います。ちなみに山川出版社の教科書では、戊辰(ぼしん)戦争からが「明治維新」の章になっています (笑) 。
安部
確かにそのあたりから明治維新が始まったととらえるのが一般的ですよね。
村木
でも、お二人がおっしゃる通りですよね。黒船来航はとてもインパクトの大きい出来事ですけれど、そのもっとずっと前から北海道や九州あたりは外国船の脅威にさらされていたわけですよね。
原口
戊辰戦争の最後の舞台となる五稜郭は、一八五四(嘉永六)年から建設計画が始まって、西洋城郭に旧幕府側が立てこもりました。
安部
榎本武揚(えのもとたけあき)は幕府側の人ですが、長崎海軍伝習所[幕府が開設した洋式海軍訓練所]を出たあとにオランダに留学もしている。
村木
そうなんです。幕府の目はもっと前から外国に向いていたんだと思います。だから、明治維新の始まりに関しては遡ろうと思えばどこまでも遡ることができてしまいそうなので、私の中ではやっぱり「王政復古の大号令」のあたりです。
原口
一つだけ付け加えさせてもらえれば、明治維新はほとんど無血革命に近かったというのはポイントだと思います。
安部
世界でも珍しいですよね。
原口
ええ。これほど大きな改革が戦争なく行われたことは、世界ではほとんどないでしょう。明治維新という政治革命が瞬く間に達成されたのは、産業革命が瞬く間に非西洋地域で達成されたのと同じ。いわゆる「明治レボリューション」です。
□財政改革から軍事力強化へ
原口
村木さんはご出身が京都でしたよね? 京都が幕末、維新の政治の舞台になりましたね。
村木
そうですね。個人的には京都が荒れるときは、何か日本中が荒れるような気がするとずっと思っていたりします。
原口
私の親の世代までは、さきの戦争は西南の役でしたが、京都の人はしぶといなと思いますね。だって、さきの戦争が応仁の乱なんでしょう? 
安部
今、仕事場を京都に持っていますが、京都の人はしぶとくてしたたかだと思いますよ (笑) 。
原口
ところで、(島津二十七代当主の)島津斉興(なりおき)と調所笑左衛門が一八四〇(天保十一)年に京都の北野天満宮に金灯籠を寄進したんですよ。
村木
灯籠ですか。
原口
天保の改革のめどが立って、成功したからです。それで、幕末に京都にいた薩摩藩士はよく北野天満宮にお参りに行っているんです。その年から薩摩藩では産業基盤のインフラ整備が急速に始まります。天保の改革という未曾有の財政改革は、薩長土肥、みんなやっているわけです。
村木
改革というのはこれまでになかった大なたを振るうということなので、いろんな形で幕府の手助けもないといけないですよね。
原口
その通りです。財政改革は軍事力の強化をもたらす。しかも、それは海軍力の強化ということが大事でした。
安部
蒸気軍艦を一番多く保有していたのはもちろん幕府。その次は薩摩藩だと聞いたことがあります。
原口
薩長土肥の四藩は全て蒸気軍艦を保有していたといわれています。そうすると、どんな課題が生まれるかというと、蒸気船を操船できる士官の養成です。その課題を解決するために一八五五(安政二)年に長崎海軍伝習所ができたんですね。
安部
そこで、集まった幕臣と諸藩の人間に関係ができるわけですね。藩の壁を超えて日本の国を考える、横のつながりが各地にできてくる。
村木
そういった流れで、幕臣の勝海舟(かつかいしゅう)と榎本武揚、薩摩藩の五代友厚(ごだいともあつ)も海軍伝習所の仲間だったわけですね。
原口
海軍力強化と蒸気軍艦保有、海軍士官養成を達成しなければ日本は植民地になるという、非常に強い危機意識を彼らは共有していたわけです。


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〈プロフィール〉
安部龍太郎

1955年福岡県生まれ。図書館に勤務するかたわら、短編で日本全史を網羅した『血の日本史』で90年デビュー。2005年『天馬、翔ける』で第11回中山義秀文学賞を受賞。13年『等伯』で第148回直木賞を受賞。著書に『信長燃ゆ』『海神』『関ヶ原連判状』『恋七夜』『宗麟の海』ほか多数。
村木 嵐

京都府生まれ。2010年『マルガリータ』で松本清張賞を受賞しデビュー。著書に『雪に咲く』『島津の空帰る雁』『地上の星』など。
原口 泉

1947年鹿児島県生まれ。鹿児島県立図書館館長。志學館大学教授。鹿児島大学名誉教授。東京大学文学部卒、文学修士。専門は日本近世史・近代史で、薩摩藩や琉球史に詳しい。大河ドラマ「西郷どん!」の時代考証にも携わっている。
司会/集英社文庫編集長
江口 洋