よみもの・連載

和三郎江戸修行 激烈

第一章 迎  撃

高橋三千綱Michitsuna Takahashi

「駄目だ。江戸にいても沙那殿は目立ち過ぎる。なんといっても野山小町だからな。茶屋なんかで働いたら、悪い男がどっと押し寄せてきてかえって危険じゃ」
「こんなときに、何をおっしゃっておられるのですか」
 恨めしげな視線が和三郎を刺した。
「うらは今夜、二人斬った。大川平兵衛(おおかわへいべえ)も倒した。敵の的はうらにも向けられる。そんな男の傍にいてはならん」
「で、でも……わたしは……」
 沙那の肩が震えている。和三郎は心を鬼にして聞いた。
「直俊君はどこだ」
「奥の寝室です」
「よし」
 和三郎は沙那の肩から両腕を離して、廊下を進みかけた。
「誰かついている者はおるのか」
 答えたのはお蓮だった。
「小姓組の沼澤庄二郎(ぬまさわしょうじろう)様が隣室に控えておられます」
 お蓮はそういうと、こちらです、といって和三郎の先に立って進んだ。和三郎は振り返った。
「沙那殿、台所に犬がいる。一太郎というのだが、とにかく腹をすかしているから飯をやっておいてくれ」
「えっ? 犬?」
 と寝ぼけた声を出したのはもう一人いる女中らしかった。
 和三郎はお蓮の後について進んだ。いくつかの角を曲がると、お蓮は廊下から沼澤の名を呼んだ。
 袴(はかま)を手に下げた小柄な侍が姿を現した。
「お蓮さん、どうしたのだ」
「この方が」
 お蓮が和三郎を振り仰ぐと、沼澤は袴を落としてあわてて刀を取りに奥に行った。
「あわてるな。私は岡和三郎という者だ。直俊君の護衛を国許のお年寄り田村半左衛門(たむらはんざえもん)様に命じられた。今夜か明日、遅くとも明後日の晩には刺客どもがここを襲ってくる」
「な、なんと、刺客が。何故じゃ」
「何故? おぬしは何も知らんのか」
「どういうことじゃ。そもそもおまえは何者だ。田村様の名を出すとは一体何を企(たくら)んでおるのだ。貴様こそ怪しい」
 沼澤は刀の柄(つか)に手をかけて鍔元(つばもと)を切ろうとした。和三郎が手にした刀の鞘(さや)が、その手首を押さえた。
「土屋家は今、真っ二つに分かれて敵対しておる。元藩主の忠国(ただくに)様が直俊君の命を奪い、ご自分の嫡男国松(くにまつ)君を次の藩主に据えようと企んでおるのじゃ。それを知らんのか」
「知らん。そんなことがあるわけない」
 沼澤の目が血走っている。これは駄目だと和三郎は思った。
「ではここにいろ。ここで刺客どもと戦え。直俊君は私が匿(かくま)う」
 和三郎こそが今ははっきりと敵側に狙われているのだ。そんな男が直俊君を護るのが危険極まることは、和三郎自身がよく分かっていた。だが、こんな心もとない家臣どもに直俊君を預けるわけにはいかなかった。
(たとえあの子が影武者であろうと、うらが護る)
 本物の直俊君は、国許から来た武田(たけだ)道場師範の大石小十郎(おおいしこじゅうろう)に守られて、越後椎谷(えちごしいや)藩堀(ほり)家の屋敷にいる。
(身代わりとして死ぬ運命など、そんなものがあってたまるか。あの子はうらにとっては直俊君だ。なんとしても護り通す)
 同じ土屋家の家来を斬るのは和三郎には忍びなかった。それらの者たちは国許で起こっているお家騒動を知らないのだ。或(ある)いは、重役らに懐柔されて、忠直(ただなお)様の世嗣(せいし)、直俊君を亡き者にする謀略に知らずに加担してしまっている。
 だからといって、いまは事細かに説明しているときではない。全ては、江戸にいる家来どもが、安逸に浸り過ぎていることから起こったことなのだ。少し気を張り詰めれば、土屋家の土台が、凶悪人の策謀によって崩れ落ちようとしているのが分かるはずだ。
 だが頭に血が上っている家来どもには周囲が見えない。現に目の前で青筋をたてて身構えている沼澤を、なだめる方法が和三郎には思い浮かばない。お蓮も沼澤にしがみついている。
「狼藉者(ろうぜきもの)め。そこへ直れ。成敗してやる」
 喚(わめ)いた沼澤の手が柄にかかった。

プロフィール

高橋三千綱(たかはし・みちつな) 1948年1月大阪府生まれ。サンフランシスコ州立大学、早稲田大学中退。74年「退屈しのぎ」で第17回群像新人賞、78年「九月の空」で第79回芥川賞を受賞。青春小説や時代小説、またゴルフに関する著作も多数ある。著書に『お江戸の用心棒』『明日のブルドッグ』『空の剣 男谷精一郎の孤独』ほか多数。

既刊紹介

和三郎江戸修行 脱藩

和三郎江戸修行 脱藩 時は幕末。越前野山土屋家中はお家騒動の気配をはらんでいた。小身の家臣の三男坊・岡和三郎は、無駄飯食いの立場だったが、剣の腕には覚えがあった。ある日、藩重役から江戸での剣術修行を命じられる。しかも脱藩して密行せよ、と。大枚の路銀をせしめ、視覚に襲われるも旅立つのだった。修行人宿に泊まりつつ江戸を目指す東海道中、若き剣客を待ち受ける運命やいかに……。傑作時代小説シリーズ幕開き。

和三郎江戸修行 開眼

和三郎江戸修行 開眼 浜松城下で坂本竜馬と別れ、岡和三郎は幕末の東海道を一路、江戸に向かっていた。越前野山藩から命じられた脱藩密行での剣術修行。宇津谷峠の雨宿りで横井小楠と出くわし、酒を呑んではからみ半分のご高説をうかがいながらの道中となってします。若き剣客の心を時にはあたため、時には奮い立たせる出会いは、さらに彼を成長させていくのだった。傑作青春時代シリーズますます熱い第二弾。

和三郎江戸修行 愛憐

和三郎江戸修行 愛憐 四万三千石・土屋家の世嗣である直俊君を密かに護れ。それこそが和三郎に下された真の密命だった。それゆえに江戸でも敵に襲撃され、さらには父の因縁により格上の相手から果たし合いまで挑まれて、半死半生に追いやられてしまう。だが、許嫁の沙那や道中で出会った倉前秀之進、坂本竜馬など味方の存在が和三郎を生かし、剣を磨かせてゆく――。傑作青春時代シリーズ第三弾。

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