よみもの・連載

和三郎江戸修行 激烈

第一章 迎  撃

高橋三千綱Michitsuna Takahashi


 そのとき、
「沼澤、どうかしたか」
 沼澤の荒々しい声を聞きつけた直俊君が、寝室から出てきて廊下に姿をみせた。和三郎は片膝をついて顔を上げた。
「岡和三郎です。覚えておいでですか」
「ああ、覚えておる。沙那の許婚(いいなずけ)であろう。沙那がそう申しておった」
 直俊君はやや眠そうな様子だったが、喋(しやべ)る言葉に無駄はなかった。
「直俊君に申し上げなくてはならないことがあります。江戸の刺客が直俊君のお命を狙ってここを襲ってまいります。土屋家ではお家騒動が起こっているのです。ご理解頂けますか」
「そうか……」
 直俊君はしょんぼりとして肩を落とした。その頰に雨戸の節目から入った青白い月の光がかかった。
(この子は全てを理解している!)
 和三郎の心が激しく動揺した。この子は自分に向けられた運命までも分かっているのだ。その心情は、俎板(まないた)に載せられた鯉(こい)がおとなしく、包丁が落とされるのを待っているかのような切なさがあった。
「わらわを狙う者があるのか」
 直俊君は視線を伏せた。睫毛(まつげ)が忙(せわ)しくしばたたかれた。
「参りましょう」
 和三郎は直俊君の手を取り、抱き上げると肩に乗せた。
「狼藉者め、何をするか」
「直俊君を安全なところへお連れするのだ。おまえらの腕では、襲ってくる刺客どもから直俊君を護りきれないんじゃ」
「どこへ連れていくというのだ」
 沼澤が前に出てきた。
「それは秘密だ。それにおぬしは知らん方がよい」
 前に立ちふさがった沼澤を押しのけて、和三郎は雨戸を蹴り飛ばした。沼澤が「狼藉者だ」と庭に向かって叫んだ。塀際に建てられた組屋敷から、人が起きる気配があわただしく聞こえてくる。
 和三郎は直俊君をかかえて、月光の差す庭に降り立った。沼澤が続いて跳びおり、鯉口を切って刀を抜いた。
 和三郎はいったん直俊君を下ろすと、背後から打ち掛かってきた沼澤を鞘の入った刀で払った。その次に沼澤の後頭部を叩いた。沼澤の体が落ちると、お蓮が悲鳴をあげて寄り添った。
 組屋敷から二人の武士が寝巻姿のまま飛び出してきた。刀を下げているが抜き方も忘れたように茫然(ぼうぜん)としている。
「国分正興はいるか」
 ふたりは首を横に振ったらしい。下屋敷の管理をする者が、こともあろうに下屋敷を出て、別に家を借りて住んでいるというのはお笑い草だった。それこそ藩の無駄な出費だ。
「国分にいっておけ。刺客が襲ってくる。その理由は国分には分かっているはずだ」
 二人は互いの顔を暗い中で見合わせた。それでも何も口をきくことができずにいる。
「直俊君はおれが護る。おれの名は岡和三郎じゃ。お年寄りの田村半左衛門殿の手下だ。分かったらおぬしらもどこかへ逃げろ。刺客の頭領は番頭(ばんがしら)の中越呉一郎(なかごしごいちろう)だ」
 和三郎はその場におとなしく佇(たたず)んでいた直俊君を、もう一度抱きかかえて左側の肩に乗せた。
「和三郎様、わたしもご一緒に参ります」
 飛び出してきた沙那が前を塞いだ。
「うらは囮(おとり)として狙われているんじゃない。元々敵側の狙いはうらも一緒に殺す気じゃったんじゃ。うらの傍にいるということは、命を落とすことじゃ」
「構いません。直俊君を護るのは沙那のお役目でもあります」
「いい加減にしろ」
 和三郎は怒鳴った。沙那は目を瞠(みは)った。

プロフィール

高橋三千綱(たかはし・みちつな) 1948年1月大阪府生まれ。サンフランシスコ州立大学、早稲田大学中退。74年「退屈しのぎ」で第17回群像新人賞、78年「九月の空」で第79回芥川賞を受賞。青春小説や時代小説、またゴルフに関する著作も多数ある。著書に『お江戸の用心棒』『明日のブルドッグ』『空の剣 男谷精一郎の孤独』ほか多数。

既刊紹介

和三郎江戸修行 脱藩

和三郎江戸修行 脱藩 時は幕末。越前野山土屋家中はお家騒動の気配をはらんでいた。小身の家臣の三男坊・岡和三郎は、無駄飯食いの立場だったが、剣の腕には覚えがあった。ある日、藩重役から江戸での剣術修行を命じられる。しかも脱藩して密行せよ、と。大枚の路銀をせしめ、視覚に襲われるも旅立つのだった。修行人宿に泊まりつつ江戸を目指す東海道中、若き剣客を待ち受ける運命やいかに……。傑作時代小説シリーズ幕開き。

和三郎江戸修行 開眼

和三郎江戸修行 開眼 浜松城下で坂本竜馬と別れ、岡和三郎は幕末の東海道を一路、江戸に向かっていた。越前野山藩から命じられた脱藩密行での剣術修行。宇津谷峠の雨宿りで横井小楠と出くわし、酒を呑んではからみ半分のご高説をうかがいながらの道中となってします。若き剣客の心を時にはあたため、時には奮い立たせる出会いは、さらに彼を成長させていくのだった。傑作青春時代シリーズますます熱い第二弾。

和三郎江戸修行 愛憐

和三郎江戸修行 愛憐 四万三千石・土屋家の世嗣である直俊君を密かに護れ。それこそが和三郎に下された真の密命だった。それゆえに江戸でも敵に襲撃され、さらには父の因縁により格上の相手から果たし合いまで挑まれて、半死半生に追いやられてしまう。だが、許嫁の沙那や道中で出会った倉前秀之進、坂本竜馬など味方の存在が和三郎を生かし、剣を磨かせてゆく――。傑作青春時代シリーズ第三弾。

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