よみもの・連載

和三郎江戸修行 激烈

第一章 迎  撃

高橋三千綱Michitsuna Takahashi

「沙那殿がいては足手纏(あしでまと)いなんじゃ。それが分からんのか。うらは沙那殿を護ることができん。そんなことに手を貸している暇はないんじゃ。敵は土屋家のふやけた家来ではない。殺しを稼業とする刺客どもだ」
「刺客……」
「そうじゃ。手練(てだ)れの者たちじゃ。沙那殿の出る幕ではない」
「ど、どうして……」
 沙那の動揺した心の中を、泳いだ目が語っていた。
「番頭の中越が雇い入れた刺客どもとは別に、恐らく今夜うらを狙って、用人の田川源三郎(たがわげんざぶろう)が藩邸の手の者を連れて襲ってくる。実は中屋敷の金蔵にあった四千両をうらは奪ってやったのじゃ。それを今夜取り戻しに来ることになっている」
 和三郎はそれだけいうと、門に急いだ。茫然と突っ立っている門番に門を開けるように命じた。だが門番は門柱をはずそうとしない。
「早くしろ」
 そう怒鳴ると、背後から走りこんできた者が門番に飛びついた。
「わっ!」
 腰を抜かした門番が悲鳴をあげて両足を天に向けた。野犬が門番の股間を齧(かじ)っている。
「おい、一太郎、もういい。やめろ」
 そう命じると野犬は門番の股間から顔を上げた。肩にいる直俊君から微(かす)かに笑う声が聞こえた。
(この子の方が余程肝が据わっている)
 そのときまで、和三郎は直俊君を舩松町(ふなまつちょう)の家に連れていく気は毛頭なかった。開かれた門から出て行く時、和三郎の頭に閃いたのは、下屋敷に隣接している寺に直俊君を預けることだったのである。
 しかし、寺の門は開かれることはなかった。山門から大門まで相当の距離がある。山門を入って大門を叩いたが、寺は静まり返ったままである。和三郎はそれでも固い門を叩き続けた。
(こいつらは決して門を開こうとはせんかもしれん)
 この門は岩盤だ、と力を落とした。
「寺は嫌いじゃ」
 そのとき耳元で直俊君の呟(つぶや)きが耳に入った。
「寺は陰気臭い。線香の臭いが嫌いじゃ」
 七歳の子供が、陰気臭いという言葉遣いを知っていることに、和三郎はまず驚いた。月は再び黒い雲に隠れ、あたりは闇一色である。直俊君の目鼻立ちさえ、一寸先にいてもよく分からない。
「わらわの命があやういというのなら、わらわは岡和三郎のそばにいる。それが一番安心できる」
 生命力に乏しい囁(ささや)き声が、和三郎の胸にしみた。
「では直俊君のお命は私がお預かりします」
 身代わり同士、生き抜くには、二つの命を一つにして三倍分の力を発揮しなくてはならない。
「直俊君、今夜は家来どもに大ボラを吹いて頂くことになりますぞ」
「教えてくれ。何でもやるぞ」
 和三郎は寺に直俊君を預けるのをやめて、下屋敷に戻った。門を叩き、「岡和三郎だ。直俊君も一緒だ」と怒鳴ると、今度は案外簡単に門が開かれた。最初に一太郎が迎えに出た。
「おう、徒士頭、頑張ってるな。しかし、ここにはもう用はないぞ」
 和三郎は野犬の頭を撫(な)でた。初めて野犬が和三郎の手を舐(な)めた。
 庭先ではまだ三人の男が出ていて、わいわい騒いでいる。
「おい、厩(うまや)に馬が一頭いたな。至急鞍(くら)をつけてくれ」
 そういったが、三人は互いの顔を見合わせているだけで、誰も動こうとはしない。
 和三郎は痺(しび)れる右手を使って刀を抜いた。左肩には直俊君を抱えているので自由にならなかったのである。
 気まぐれな月が黒い雲から顔を出し、月光が刀のふくらに当たった。眩(まばゆ)い光線が庭にいる侍の目を刺した。
「三人でやるんじゃ。早くしろ」
 和三郎の気迫に後ずさりをした侍たちは、背中を向けるといっせいに厩に向かって走った。
 屋敷の中は静まり返っている。気絶していたはずの沼澤庄二郎の姿も消えている。女どもが屋敷の中に運び込んだのだろう。
 衣擦(きぬず)れの音がしたので横を向くと、棒縞の着物が目の隅に映った。沙那が近づいてきた。

プロフィール

高橋三千綱(たかはし・みちつな) 1948年1月大阪府生まれ。サンフランシスコ州立大学、早稲田大学中退。74年「退屈しのぎ」で第17回群像新人賞、78年「九月の空」で第79回芥川賞を受賞。青春小説や時代小説、またゴルフに関する著作も多数ある。著書に『お江戸の用心棒』『明日のブルドッグ』『空の剣 男谷精一郎の孤独』ほか多数。

既刊紹介

和三郎江戸修行 脱藩

和三郎江戸修行 脱藩 時は幕末。越前野山土屋家中はお家騒動の気配をはらんでいた。小身の家臣の三男坊・岡和三郎は、無駄飯食いの立場だったが、剣の腕には覚えがあった。ある日、藩重役から江戸での剣術修行を命じられる。しかも脱藩して密行せよ、と。大枚の路銀をせしめ、視覚に襲われるも旅立つのだった。修行人宿に泊まりつつ江戸を目指す東海道中、若き剣客を待ち受ける運命やいかに……。傑作時代小説シリーズ幕開き。

和三郎江戸修行 開眼

和三郎江戸修行 開眼 浜松城下で坂本竜馬と別れ、岡和三郎は幕末の東海道を一路、江戸に向かっていた。越前野山藩から命じられた脱藩密行での剣術修行。宇津谷峠の雨宿りで横井小楠と出くわし、酒を呑んではからみ半分のご高説をうかがいながらの道中となってします。若き剣客の心を時にはあたため、時には奮い立たせる出会いは、さらに彼を成長させていくのだった。傑作青春時代シリーズますます熱い第二弾。

和三郎江戸修行 愛憐

和三郎江戸修行 愛憐 四万三千石・土屋家の世嗣である直俊君を密かに護れ。それこそが和三郎に下された真の密命だった。それゆえに江戸でも敵に襲撃され、さらには父の因縁により格上の相手から果たし合いまで挑まれて、半死半生に追いやられてしまう。だが、許嫁の沙那や道中で出会った倉前秀之進、坂本竜馬など味方の存在が和三郎を生かし、剣を磨かせてゆく――。傑作青春時代シリーズ第三弾。

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