よみもの・連載

和三郎江戸修行 激烈

第一章 迎  撃

高橋三千綱Michitsuna Takahashi

「荷物はまとめました。旅に出る支度はいつでもしておりました」
 硬い口調でいった。先ほどの和三郎の厳しい口調をまともに受けて、沙那の心は硬く閉ざされてしまったものらしい。しかし、そうなることは承知していたことだった。
「直俊君をどこにお連れしようというのですか」
「舩松町の家じゃ」
「で、でもあそこは狙われていると……」
「そう、用人の田川源三郎の一派にな。田川の命令に応じるのは、大方土屋家の家来だ」
「同じ家臣同士討ち合いをなさるのですか」
「戦さとはそういうものだ。裏切り者が勝てば正義となる。沙那殿の兄上を討つように命じた者が勝者となれば、原口耕治郎(はらぐちこうじろう)殿は裏切り者として成敗されたことになる」
 そういうと沙那は押し黙った。
「中屋敷には何人の家臣がいるかご存知か」
「恐らく、侍は十数名ほどとか。女中の方が多いと聞いています。奥方様がおられますから」
 現藩主土屋忠直様の奥方、嘉子(よしこ)は中屋敷に住んでいる。前藩主の忠国の側女(そばめ)は息子と共に、大勢の女中にかしずかれて筋違橋(すじかいばし)門内の上(かみ)屋敷に住んでいる。理不尽なことだ。
(それを先代忠国殿の謀反の証(あか)しだと、江戸の者は何故気づかないのだ)
 だが、今は蠣殻町(かきがらちょう)の屋敷にいる土屋家家来のことが気にかかる。
「十数名か。だが恐らく今夜襲ってくるであろう田川の一派は、もう少し多いだろう。浪人を雇うことも考えられるからな。沙那さんが心配する通り、うらは何としても土屋家の家来同士の殺し合いは避けたい。そこでここにおられる直俊君に、一役かってもらうことになる」
「えっ?」
 沙那は今初めて、和三郎の肩の上に直俊君がいることに気づいたようだった。
 鞍をつけた馬が引かれてきた。
「夜明けにはここを発(た)つように。これが今生の別れになるかもしれん。もしうらの母上に会うことがあったら、和三郎は、この脇差(わきざし)を肌身離さず持っていたと伝えてほしい」
 沙那の視線が和三郎の脇差に注がれた。和三郎は直俊君を先に馬に乗せた。ついで自分が乗ろうと鐙(あぶみ)に片足を伸ばしかけると、不意に背後から抱きついてくる者があった。
 着物の上からでも、肌のぬくもりが感じられた。必死で抱きついてくる女は、両腕を伸ばして和三郎の脇の下から胸を強く握った。
 襟首に吐息がかかった。
 和三郎は女の腕をそっと解くと、何もいわずに背を向けたまま馬上の人となった。直俊君を鞍の前に置き、鐙にかけた踵(かかと)で軽く馬の腹をこすった。
「達者であられよ。一太郎、行くぞ」
 人馬は開かれた門を速歩(はやあし)で出て行く。野犬の黒い影が傍に張り付いた。和三郎は後ろを振り返ることなく、大川沿いを南に走った。直俊君を気遣って、それほど馬を急がせることなく軽速歩(けいはやあし)で走らせた。
 夜の闇が前方に広がっている。大名の番屋を過ぎるときは、馬の蹄(ひづめ)を響かせないように慎重に手綱をあやつった。大門が出てきた。門は全部が閉ざされているわけではない。町役人の詰める番小屋には、小さな火が灯(とも)っている。和三郎は脇門をくぐるように静かに通り過ぎると、両国橋(りようごくばし)を渡った。
 南に馬頭を向け、今度は左耳に大川の流れを聞きながら南に駆けた。元(もと)柳橋(やなぎばし)を抜けると、大名の下屋敷や蔵屋敷の壁が続いている。新大橋(しんおおはし)の橋詰に来ると、道なりに小網町(こあみちよう)に向かった。そこに行く手前に田安(たやす)家の下屋敷に向かう橋が一つかかっている。田安家の隣は土屋家の中屋敷である。

プロフィール

高橋三千綱(たかはし・みちつな) 1948年1月大阪府生まれ。サンフランシスコ州立大学、早稲田大学中退。74年「退屈しのぎ」で第17回群像新人賞、78年「九月の空」で第79回芥川賞を受賞。青春小説や時代小説、またゴルフに関する著作も多数ある。著書に『お江戸の用心棒』『明日のブルドッグ』『空の剣 男谷精一郎の孤独』ほか多数。

既刊紹介

和三郎江戸修行 脱藩

和三郎江戸修行 脱藩 時は幕末。越前野山土屋家中はお家騒動の気配をはらんでいた。小身の家臣の三男坊・岡和三郎は、無駄飯食いの立場だったが、剣の腕には覚えがあった。ある日、藩重役から江戸での剣術修行を命じられる。しかも脱藩して密行せよ、と。大枚の路銀をせしめ、視覚に襲われるも旅立つのだった。修行人宿に泊まりつつ江戸を目指す東海道中、若き剣客を待ち受ける運命やいかに……。傑作時代小説シリーズ幕開き。

和三郎江戸修行 開眼

和三郎江戸修行 開眼 浜松城下で坂本竜馬と別れ、岡和三郎は幕末の東海道を一路、江戸に向かっていた。越前野山藩から命じられた脱藩密行での剣術修行。宇津谷峠の雨宿りで横井小楠と出くわし、酒を呑んではからみ半分のご高説をうかがいながらの道中となってします。若き剣客の心を時にはあたため、時には奮い立たせる出会いは、さらに彼を成長させていくのだった。傑作青春時代シリーズますます熱い第二弾。

和三郎江戸修行 愛憐

和三郎江戸修行 愛憐 四万三千石・土屋家の世嗣である直俊君を密かに護れ。それこそが和三郎に下された真の密命だった。それゆえに江戸でも敵に襲撃され、さらには父の因縁により格上の相手から果たし合いまで挑まれて、半死半生に追いやられてしまう。だが、許嫁の沙那や道中で出会った倉前秀之進、坂本竜馬など味方の存在が和三郎を生かし、剣を磨かせてゆく――。傑作青春時代シリーズ第三弾。

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