よみもの・連載

和三郎江戸修行 激烈

第一章 迎  撃

高橋三千綱Michitsuna Takahashi

 和三郎は暗い中をゆっくりと永久橋(えいきゆうばし)の小橋を渡った。番小屋から中間が二人出てきた。長い棒を携えている。
「土屋家の若君、直俊様だ」
 馬上からそういった。
 直俊君は毅然(きぜん)とした態度で、二人の番人を見下ろした。
「大儀じゃ」
 ひと言そういった。二人は恐れ入って頭を下げた。和三郎は土屋家の門の前まで行き、外から中の様子を窺った。中から男どもが集まっている気配がする。
 和三郎は馬の頭を番小屋に戻した。
「おい」
 と呼びかけると、番小屋の戸が開いて先ほどの中間が一人顔を覗(のぞ)かせた。
「土屋家の屋敷に得体の知れない者どもがいるようじゃが、あれは何だ」
「さあ、一時(約二時間)ほど前から何人か浪人のような者が集まっているようだが、くわしくは知らん。握り飯を食っているようじゃった」
 番人は臆すまいとして無理に胸を張っているようだった。
「お勤め、ご苦労」
 和三郎はそういって、馬をそのまま南の北新堀町(きたしんぼりちょう)から湊橋(みなとばし)に向けて歩かせた。野犬がついていくのを番人はきょとんとして眺めていたようだ。
 湊橋を渡れば、鉄砲洲(てつぽうず)はすぐその先である。九十九長太夫(つくもちょうだゆう)は無事着いているだろうか。そうなれば、三十両分の働きはたっぷりしてもらうことになるだろう。
 自分でも不敵だと思えるほどの笑みを夜空に向けて、和三郎はそう呟いた。背後から抱きついてきた沙那の温(ぬく)もりが、この世で最後の思い出になることも覚悟していた。



 家は静まり返っているものとばかり思っていた和三郎は、畑と原っぱに囲まれた家の中から、賑(にぎ)やかな笑い声が外まで響いてくるのでちょっと拍子抜けがした。
 原っぱといっても、そこは舩松町という町家なのである。岸辺には漁師の小屋がぽつぽつと並んでいる。大川との境には葦(あし)の原に埋まるようにして岩礁が築かれている。
(九十九長太夫が酒を飲んでいるのだな。では相手は一体誰だろう。吉井(よしい)か)
 ご機嫌な笑い声を聞きながら、返り血まで浴びて、血相を変えて決戦に臨もうとしている自分が間抜けのように思えた。
 和三郎は馬から降りると、直俊君を乗せたまま、慎重に門までの道を大回りした。門を隔てた十五間(約二十七メートル)ほどのうちに細工が施してある。そこには板で作った要塞が、土の上に家を取り囲む形で倒してあるのである。
 敵が攻め込んできたら、まず左右から板壁に繫(つな)いだ綱を引いて、倒してある板壁を立てるのである。板の上には、全部ではないが兵隊の姿が描かれた別の板を貼り付けてある。銃を構えている兵の絵もある。
 それらは要塞と呼ぶにはあまりに幼稚で簡易なものだが、昨日一日で大工や指物屋、看板描き、金粉を扱う工芸師など十三名を集めて、いっせいにやらせた仕事だから、こけ威(おど)し程度の役目しか果たせないのは仕方ない。だが、それだけでも少しは敵の動静が分かるかもしれない。
 敵の中にも味方につく者が出てくるかもしれないのだ。誰が敵で、誰が味方か鮮明になる可能性もある。全員が用人、田川源三郎の口車にだまされているとは思えないのである。
 田川は和三郎に奪われた軍資金を取り戻したいだけなのだ。それは前藩主忠国一派の軍資金の一部であり、軍資金の集金は、陰謀を企む黒幕の一人である田川源三郎に課せられた使命なのだと和三郎はみている。
 そうなのである。和三郎の拷問に遭って、弱々しい貌(かお)をみせて降伏の体(てい)でいた田川源三郎こそが、前藩主土屋忠国の忠実な部下であり、直俊君暗殺の絵を描いた一派の、もう片方の頭領であると和三郎は思っている。
 叔父(おじ)さえも教えてくれなかった、和三郎の実の父であるという中村和清(なかむらかずきよ)のことや、堀家五千石を継いだ兄、唯之介(ただのすけ)のことにしろ、あの男が持っている情報は半端ではないのである。
 田川と肩を並べるもう一派の頭領は、江戸にいる留守居役の白井貞清(しらいさだきよ)であろうと和三郎は推察している。もう一人松井重房(まついしげふさ)という重役もいると聞くが、この者のことはほとんど聞こえてこない。

プロフィール

高橋三千綱(たかはし・みちつな) 1948年1月大阪府生まれ。サンフランシスコ州立大学、早稲田大学中退。74年「退屈しのぎ」で第17回群像新人賞、78年「九月の空」で第79回芥川賞を受賞。青春小説や時代小説、またゴルフに関する著作も多数ある。著書に『お江戸の用心棒』『明日のブルドッグ』『空の剣 男谷精一郎の孤独』ほか多数。

既刊紹介

和三郎江戸修行 脱藩

和三郎江戸修行 脱藩 時は幕末。越前野山土屋家中はお家騒動の気配をはらんでいた。小身の家臣の三男坊・岡和三郎は、無駄飯食いの立場だったが、剣の腕には覚えがあった。ある日、藩重役から江戸での剣術修行を命じられる。しかも脱藩して密行せよ、と。大枚の路銀をせしめ、視覚に襲われるも旅立つのだった。修行人宿に泊まりつつ江戸を目指す東海道中、若き剣客を待ち受ける運命やいかに……。傑作時代小説シリーズ幕開き。

和三郎江戸修行 開眼

和三郎江戸修行 開眼 浜松城下で坂本竜馬と別れ、岡和三郎は幕末の東海道を一路、江戸に向かっていた。越前野山藩から命じられた脱藩密行での剣術修行。宇津谷峠の雨宿りで横井小楠と出くわし、酒を呑んではからみ半分のご高説をうかがいながらの道中となってします。若き剣客の心を時にはあたため、時には奮い立たせる出会いは、さらに彼を成長させていくのだった。傑作青春時代シリーズますます熱い第二弾。

和三郎江戸修行 愛憐

和三郎江戸修行 愛憐 四万三千石・土屋家の世嗣である直俊君を密かに護れ。それこそが和三郎に下された真の密命だった。それゆえに江戸でも敵に襲撃され、さらには父の因縁により格上の相手から果たし合いまで挑まれて、半死半生に追いやられてしまう。だが、許嫁の沙那や道中で出会った倉前秀之進、坂本竜馬など味方の存在が和三郎を生かし、剣を磨かせてゆく――。傑作青春時代シリーズ第三弾。

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