よみもの・連載

和三郎江戸修行 激烈

第一章 迎  撃

高橋三千綱Michitsuna Takahashi

「約束の三十両だ。ひとりあたり十両じゃな。後藤(ごとう)家の署名、捺印(なついん)が押してある。しっかりしまっておけよ」
 包金には小判弐拾(にじゅう)と書かれた字の脇に捺印が押され、封印には光次(みつつぐ)の印が押されている。田川が隠していた四千両の他に、和三郎は三百二十両ばかりをついでにちょろまかして懐に入れていた。それを自室の硯箱に隠しておいたのである。
 しかし、当座の残り金はもう百三十両を切っている。
「お、おい、こんな大金をおぬしはどこに隠しておったのじゃ。こんな金があるなら、なにも殺し屋の仲間になることはなかっただろう」
 九十九が唇を尖らせていった。
「それには色々とわけがあったのだ。つまり探索だ。町人に化けておれを殺そうとしたやつらもやってくるに違いないと算段したのだ」
「算段したのね。ん、だが、化けた町人とはなんだ。儂にはさっぱり分からんぞ」
「さっきおぬしもひとり斬ったではないか。しかし、ま、分からないのは無理もない。今夜までおれもやつらの裏で手を引いているのが、どういうやつらなのか見当がつかなかったんやからな。つまり刺客とは広島藩の改革派を狙っているやつらだと思っておったのだ。だが、なんと現場を指示していたのは我が土屋家の番頭だった」
 ほう、といって感心したような顔をしたのは竜馬である。状況を少し理解してきたものと見えた、顔つきが変わってきている。酒ももう飲んでいないようだった。
 しかし九十九はまだ、三十両を前にして気もそぞろの様相を呈している。
「しかし、命あってのものだねじゃ。儂はもう少しこの世に未練がある」
 九十九は腕組みをして視線を天井に向けた。
「安心しろ、九十九長太夫氏。おぬしが今夜見た、あのぶっそうな刺客どもとの対決は明日以降じゃ。今夜の相手は、土屋家の中屋敷でくすぶっているへなちょこ侍じゃ。刀の抜き方もよう知らん在府の連中じゃ。だが油断は禁物じゃ。さあ、戦さの準備をしてくれ」
 和三郎がそう早口でいうと、九十九は徳利を手からすべり落として急に震えだした。
「勘弁してくれ。三十両はいらん。二十名をたった三人で相手するなんて無理だ。儂は降りる」
「もう遅い。敵が来たようじゃ」
 玄関から、一太郎の低い唸り声が廊下を這(は)って流れてくる。
「竜馬も覚悟してくれ。千葉(ちば)門下の剣筋を見せつけてやれ」
 そういうと、竜馬は片膝をついて刀を取った。
「ようし、やっちゃる。これでも小栗(おぐり)流和兵法の目録取りじゃ。なんかよう分からんが、おんしには借りがあるきな。こがいなこともあろうかと実は秘密兵器を用意してある。任しちょけ、その世継ぎを死なせはせんぞ。おれは酒が入ると強うなるんじゃ」
 目の色が違っている。決闘に臨む隊士の目つきになった。さすが土佐の侍は肝が据わっている。
「みんな頭にさらしを巻いてくれ。同士討ちになってはいかんからな。うね、何をしておるんじゃ。握り飯はどうした。ああ、もう遅いな。仕方ないこれで勘弁してもらおう」
 和三郎は畳に置かれた小皿を手にした。皿には強飯(こわめし)と焼魚、牛蒡(ごぼう)が載せられている。
「うね、これを広島藩の三人の侍のところへすぐに持って行ってくれ。その後はさっさと隣の家に避難しろ。あ、おもんさんも一緒に行くんじゃ」
「岡様は相変わらず剣難の相があるお方なんですねえ。でも大垣で出会った頃と比べれば、段違いで男らしくなりましたよ。惚(ほ)れちゃうくらい」
 おもんはこんな時でも嫣然(えんぜん)とした笑いを忘れなかった。一瞬のことだったが、さすがに和三郎はちょっと照れた。

プロフィール

高橋三千綱(たかはし・みちつな) 1948年1月大阪府生まれ。サンフランシスコ州立大学、早稲田大学中退。74年「退屈しのぎ」で第17回群像新人賞、78年「九月の空」で第79回芥川賞を受賞。青春小説や時代小説、またゴルフに関する著作も多数ある。著書に『お江戸の用心棒』『明日のブルドッグ』『空の剣 男谷精一郎の孤独』ほか多数。

既刊紹介

和三郎江戸修行 脱藩

和三郎江戸修行 脱藩 時は幕末。越前野山土屋家中はお家騒動の気配をはらんでいた。小身の家臣の三男坊・岡和三郎は、無駄飯食いの立場だったが、剣の腕には覚えがあった。ある日、藩重役から江戸での剣術修行を命じられる。しかも脱藩して密行せよ、と。大枚の路銀をせしめ、視覚に襲われるも旅立つのだった。修行人宿に泊まりつつ江戸を目指す東海道中、若き剣客を待ち受ける運命やいかに……。傑作時代小説シリーズ幕開き。

和三郎江戸修行 開眼

和三郎江戸修行 開眼 浜松城下で坂本竜馬と別れ、岡和三郎は幕末の東海道を一路、江戸に向かっていた。越前野山藩から命じられた脱藩密行での剣術修行。宇津谷峠の雨宿りで横井小楠と出くわし、酒を呑んではからみ半分のご高説をうかがいながらの道中となってします。若き剣客の心を時にはあたため、時には奮い立たせる出会いは、さらに彼を成長させていくのだった。傑作青春時代シリーズますます熱い第二弾。

和三郎江戸修行 愛憐

和三郎江戸修行 愛憐 四万三千石・土屋家の世嗣である直俊君を密かに護れ。それこそが和三郎に下された真の密命だった。それゆえに江戸でも敵に襲撃され、さらには父の因縁により格上の相手から果たし合いまで挑まれて、半死半生に追いやられてしまう。だが、許嫁の沙那や道中で出会った倉前秀之進、坂本竜馬など味方の存在が和三郎を生かし、剣を磨かせてゆく――。傑作青春時代シリーズ第三弾。

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