よみもの・連載

和三郎江戸修行 激烈

第一章 迎  撃

高橋三千綱Michitsuna Takahashi


 いきなり犬の吠え声があがった。一太郎は玄関を飛び出して、遠く野原の方に走り出したらしい。吠え声がだんだん離れていく。その吠え声が夜の空にこだましている。
「九十九長太夫氏。覚悟を決めてくれ。今逃げ出しても敵の餌食になるだけだぞ」
「し、しかし……」
「おい九十九さんや、若君を見習え、堂々としているじゃないか。さすが大将じゃ」
 さらしを頭に巻きながら竜馬はそういって立ち上がった。頰肉が引き締まり、果たし合いに臨む武士の表情になっている。何より立ち姿のよい男である。
「吉井さん」
 和三郎は最前より蹲っている吉井を名指しで呼んだ。
「は、はい」
「あなたには申し訳ないが、昨日いった通り、すぐに発破の用意をしてほしい。火種を忘れないように」
 そういうと吉井はにわかに震えだした。
「岡さんが調合した火薬の量は大丈夫なんでしょうか。花火屋がいっていた量とは大分違うようでしたが」
「勿論(もちろん)、大丈夫です。平山行蔵先生直伝の火薬の作り方を処方しました」
 本当のところ直伝とは言い難かった。平山行蔵はわずか三十俵二人扶持(ににんぶち)の伊賀(いが)組同心であったが、武芸十八般の大家であった。その武勇伝にはこと欠かない。魯西亜(ロシア)の南下政策を危ぶみ、囚人百名でもって蝦夷地(えぞち)防衛策をときの老中に進言した憂国の士であった。和三郎は随分前から平山行蔵を尊敬していた。実用流の剣術を鑑(かがみ)としていた時期もあったほどである。
 すでに亡くなって二十五年が過ぎたが、今回は、砲術にも通じていた平山行蔵の著作を真似て、大砲から火薬の作り方までおよそ一月かけて試作してみたものである。土屋家では部屋住みの和三郎には砲術を学ぶ資格がなかったのである。
 本当のところどれほどの爆発力があるのか、和三郎にも分からなかった。少なくとも、大川に舟を浮かべて「たまやあー、かぎやあー」と喜んではやすことはできないだろう。
「で、でも大砲なんて、私は扱ったこともありません」
「私もない。だが、大砲というほどのものじゃない。殺傷力はないはずです。ですが筒の背後には立たない方がいいでしょう。こわかったら浅野家の作った大砲に任せて、吉井さんは隠れていて下さい。あの大砲は私自身で操作してみます」
「そう、岡さんが作ったのだから責任を持って下さい。そうすべきなんだ」
 なんだか吉井は急に威丈高になった。和三郎は観念して頷(うなず)いた。
「では吉井さんは、裏庭で敵を待ち伏せして、やつらが落とし穴に落ちたら棍棒(こんぼう)で殴ってやって下さいますか。うん、それがいい」
 そういって和三郎は吉井を追い立てた。なんの関わり合いもない広島藩の人には気の毒な仕事であったが、これも定めだと思ってあきらめてもらうほかはない。
「兄さん、まだ起きないの?」
 表から戻ってきたうねが仙蔵を見下ろしてあきれた顔をした。
「おい、うね、何をしている。仙蔵にはかまうな。早く逃げんか」
 酔いの覚めない仙蔵は、実の妹のうねを蹴飛ばした。
「もうほっとくしかないわさ。殺されても知らん。さあ、おもんさん早く行こう」
「はい」
 うねはおもんと一緒に裏口に回った。廊下の突き当たりに隠し戸があってそこから裏に通じている。大皿に盛った刺身を素早く抱えたのは、うねの根性が本物である証拠だった。
「ウオーーン」
 一太郎の吠え声が再び近づいてきた。敵が近づいていることを伝えにきたらしい。野犬にしておくにはおしいほど賢い犬である。
「どうやら来たようだ」
 和三郎はまず仙蔵に水をぶっかけた。それから背中のツボを刀の柄で打ち据えた。
 仙蔵は跳び起きた。頭を振り、赤い目をしきりにこすった。
「なに?」
「この家は敵に取り囲まれた。仙蔵、おまえは水ノ助のところへ行け。手はず通りやってくれ。綱を引くんだ」
「へ?」
「そのあと、床下に潜り込んで、落とし穴に落ちた敵を吉井さんと一緒に叩きのめすのだ。では頑張るのじゃぞ」
 そんな二人の問答を竜馬は面白そうに眺めている。

プロフィール

高橋三千綱(たかはし・みちつな) 1948年1月大阪府生まれ。サンフランシスコ州立大学、早稲田大学中退。74年「退屈しのぎ」で第17回群像新人賞、78年「九月の空」で第79回芥川賞を受賞。青春小説や時代小説、またゴルフに関する著作も多数ある。著書に『お江戸の用心棒』『明日のブルドッグ』『空の剣 男谷精一郎の孤独』ほか多数。

既刊紹介

和三郎江戸修行 脱藩

和三郎江戸修行 脱藩 時は幕末。越前野山土屋家中はお家騒動の気配をはらんでいた。小身の家臣の三男坊・岡和三郎は、無駄飯食いの立場だったが、剣の腕には覚えがあった。ある日、藩重役から江戸での剣術修行を命じられる。しかも脱藩して密行せよ、と。大枚の路銀をせしめ、視覚に襲われるも旅立つのだった。修行人宿に泊まりつつ江戸を目指す東海道中、若き剣客を待ち受ける運命やいかに……。傑作時代小説シリーズ幕開き。

和三郎江戸修行 開眼

和三郎江戸修行 開眼 浜松城下で坂本竜馬と別れ、岡和三郎は幕末の東海道を一路、江戸に向かっていた。越前野山藩から命じられた脱藩密行での剣術修行。宇津谷峠の雨宿りで横井小楠と出くわし、酒を呑んではからみ半分のご高説をうかがいながらの道中となってします。若き剣客の心を時にはあたため、時には奮い立たせる出会いは、さらに彼を成長させていくのだった。傑作青春時代シリーズますます熱い第二弾。

和三郎江戸修行 愛憐

和三郎江戸修行 愛憐 四万三千石・土屋家の世嗣である直俊君を密かに護れ。それこそが和三郎に下された真の密命だった。それゆえに江戸でも敵に襲撃され、さらには父の因縁により格上の相手から果たし合いまで挑まれて、半死半生に追いやられてしまう。だが、許嫁の沙那や道中で出会った倉前秀之進、坂本竜馬など味方の存在が和三郎を生かし、剣を磨かせてゆく――。傑作青春時代シリーズ第三弾。

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