よみもの・連載

和三郎江戸修行 激烈

第一章 迎  撃

高橋三千綱Michitsuna Takahashi

 和三郎は思わず叫んだ。
「逸見(いつみ)さん」
 逸見弥平次(やへいじ)の姿が月明かりの中に浮き彫りになった。その背後に黒い影が固まって集まり、逸見に声援を送っている。逸見は地元の漁師たちにもウケがいい。
「岡殿よ、義によって助太刀致す」
「おお、倉前さん」
 倉前秀之進の太い体がこちらに向かって歩んでくる。他にも七、八人の武士たちが、横一列になって浪人たちの前に立ち塞がった。
 それを見て、すでに降参して刀を放り投げた浪人もいる。
 和三郎は、あたりに立ち尽くしている土屋家の侍に向かって叫んだ。
「田川はどこだ。逆臣田川はどこにいる」
 だが田川の答えはない。
 数名の者が倒された塀を踏みしめる動きをみせた。どうやら背後で、田川が最後の突撃を家来に命じたらしい。腰を低く落としながら土屋家の者が数名進み出てきた。
「待て」
 野太い声が響いて、侍たちをかき分けて大柄な武士が現れてきた。気力、膂力(りよりよく)が身体中にみなぎっている。その武士の登場が土屋家の侍をも沈黙に落とし込んだ。


「斎藤(さいとう)様だ」
「誰が今夜のことを斎藤様に伝えたのだ」
「おれではないぞ。夕方、金城(きんじょう)が斎藤様に耳打ちしているのを見たという者がいたらしいぞ」
 ざわめく声が土屋家の家来の間から夜の中に漏れてきた。
 長い木刀を携えた武士が悠然と歩いてくる。取り巻く者たちの上に静寂が落ちた。
 和三郎は前に踏み出して、目をらんらんと光らせた、戦国武将さながらの殺気をみなぎらせている武士を迎えた。
「おぬしが岡和三郎か」
 そういった武士の分厚い唇から、血みどろの涎(よだれ)が流れている。狼(おおかみ)のような血に飢えた臭いがした。
 和三郎の血が凍った。
 この武士は只者(ただもの)ではない。
「そうです。岡和三郎です」
 和三郎は臆せずに答えた。
「今度の陰謀を画策した首魁(しゅかい)とみなしてよいか」
「どう思われても結構です。しかし私どもは陰謀を企ててはいない。嫡子直俊君の命を奪い、藩乗っ取りを企む首魁は別にいる」
「そうは思えんがな。他藩の者の加勢もあるようだ」
「全て黒幕の懐刀、土屋家用人、田川源三郎の軍勢から直俊君を護るためです」
 武士は反応しなかった。ただ、一歩踏み出しただけである。二人の間合いは七間(約十三メートル)と縮まった。
「私は斎藤歓之助(かんのすけ)と申す者だ」
(鬼歓(おにかん)!)
 神道無念(しんとうむねん)流斎藤弥九郎(やくろう)の三男である。通称鬼の歓之助、鬼歓と道場の門弟からも恐れられている剣客である。
 斎藤歓之助は和三郎にとっては、理想の剣士であり、わずか二歳年上だけながら、雲の上の存在でもあった。
 十六歳のとき、長州(ちょうしゅう)藩萩(はぎ)から道場破りにやってきた十四名の明倫館(めいりんかん)門弟を、たった一人で打ち倒した神技を持つ天才剣士である。しかもこの若さで肥前大村(ひぜんおおむら)藩に召し抱えられることが決まっている。
 それも百五十石という高禄(こうろく)である。
 そういう人と一度でいいから試合をしてみたいと、越前野山藩でくすぶっていた冷や飯食いの若造は夢想していた。
(あの鬼歓が目の前にいる)
 冷えていた和三郎の体が沸騰したように熱くなった。疲労の極に達していたが、筋肉の裏側に沈んでいた中枢神経の一本一本が、牙を剝いて起き上がってきた。

プロフィール

高橋三千綱(たかはし・みちつな) 1948年1月大阪府生まれ。サンフランシスコ州立大学、早稲田大学中退。74年「退屈しのぎ」で第17回群像新人賞、78年「九月の空」で第79回芥川賞を受賞。青春小説や時代小説、またゴルフに関する著作も多数ある。著書に『お江戸の用心棒』『明日のブルドッグ』『空の剣 男谷精一郎の孤独』ほか多数。

既刊紹介

和三郎江戸修行 脱藩

和三郎江戸修行 脱藩 時は幕末。越前野山土屋家中はお家騒動の気配をはらんでいた。小身の家臣の三男坊・岡和三郎は、無駄飯食いの立場だったが、剣の腕には覚えがあった。ある日、藩重役から江戸での剣術修行を命じられる。しかも脱藩して密行せよ、と。大枚の路銀をせしめ、視覚に襲われるも旅立つのだった。修行人宿に泊まりつつ江戸を目指す東海道中、若き剣客を待ち受ける運命やいかに……。傑作時代小説シリーズ幕開き。

和三郎江戸修行 開眼

和三郎江戸修行 開眼 浜松城下で坂本竜馬と別れ、岡和三郎は幕末の東海道を一路、江戸に向かっていた。越前野山藩から命じられた脱藩密行での剣術修行。宇津谷峠の雨宿りで横井小楠と出くわし、酒を呑んではからみ半分のご高説をうかがいながらの道中となってします。若き剣客の心を時にはあたため、時には奮い立たせる出会いは、さらに彼を成長させていくのだった。傑作青春時代シリーズますます熱い第二弾。

和三郎江戸修行 愛憐

和三郎江戸修行 愛憐 四万三千石・土屋家の世嗣である直俊君を密かに護れ。それこそが和三郎に下された真の密命だった。それゆえに江戸でも敵に襲撃され、さらには父の因縁により格上の相手から果たし合いまで挑まれて、半死半生に追いやられてしまう。だが、許嫁の沙那や道中で出会った倉前秀之進、坂本竜馬など味方の存在が和三郎を生かし、剣を磨かせてゆく――。傑作青春時代シリーズ第三弾。

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