よみもの・連載

和三郎江戸修行 激烈

第一章 迎  撃

高橋三千綱Michitsuna Takahashi

「私はおぬしらのお家騒動には興味がない。それに大砲まで用意してあるとは恐れ入った。これ以上の戦さとなると、こちら側の被害は甚大だ」
 鬼歓は六尺を超える上背がある。着物の上からでも胸や肩の筋肉の盛り上がりが窺える。和三郎も五尺二寸が平均の土屋家家臣の中では、群を抜いて背が高い。六尺まではいかないが、五尺九寸ある。
 しかし毎晩一汁一菜を、暗い部屋で腹をすかせて待っていた和三郎と、門弟二千人といわれる練兵館(れんぺいかん)道場の御曹司では、育ちも食物も鍛え方も違う。
「こちらに勝ち目はないからといって、素直に退却するやつらでもないようだ」
 鬼歓はそういうと背後を振り向いて薄笑いを浮かべた。
(貫禄が違う、格段の武芸の違いがある)
 それでも和三郎は冷静さを取り戻していた。ここでこの方と刃を交えて敗れたとしても満足だ、と思っていたのである。それは剣客としての宿命である。
 父が、中村一心斎(いつしんさい)に心酔して、苗字(みょうじ)を中村姓にしたように、ここで一敗地にまみれて果てようが、満足だと思った。
 和三郎はいつの間にか、実父が堀姓から中村姓に変えたのは、諸国を遍歴していた中村一心斎と出会い、剣客として対戦して、その神技に畏(おそ)れを抱いたからではないのかと信ずるようになっていた。
「だが、これ以上おぬしに私の門弟を痛めつけてもらっては困る」
「痛めつけるつもりはありません。田川源三郎の詭弁(きべん)に幻惑された土屋家の家臣が、お家転覆に加勢したから刃向かっただけです。田川は浪人どもには多大なる報酬を与えると餌をぶら下げたのでしょう」
「浪人のことは知らん」
 鬼歓は後ろを振り向き、飢えた獣のような浪人の軍団を眺めた。彼らの中には家族を持つ者もいるはずだ。狼だって獲物をあさるときには命がけにもなる。
 そう思いながら和三郎は、恨めしげな眼差(まなざ)しでこちらを見ている浪人を見つめ返した。
 鬼歓は和三郎に向き直った。
「しかし、ここには我が道場の門弟が十一名もいる。その内、少なくとも六名は回復が困難なほど、おぬしの木刀で叩きのめされた」
 そういうと、鬼歓はさらに二歩足を進めた。
「そこでおぬしに提案がある。ここは我ら二人の試合とせぬか。敗れた方は、陣を引く」
「しかし、直俊君を殺させるわけにはいきません」
「私がそうはさせん。勝負に勝ったからといって、幼い若君に腹を切らせたりせぬ」
 鬼歓の言葉はほとんど呟きになっている。取り巻いている他の侍たちの耳には届かないはずだ。みな、影絵のようになって沈黙している。
「おぬしが勝っても、門弟に仇討ちはさせん。みなはすみやかに退却する」
 そういうと、鬼歓はいきなり背後を振り返って手にした木刀を振り上げた。
「これから私ら二人は試合をする。たとえ私が敗れてもおぬしらは反撃しようとするな。ただちにこの場を去れ。よいか、分かったな」
 鬼歓は土屋家の家臣と門弟たちに向かって大声を放った。
 低い呻くような声が暗がりから漏れた。
「分かったな」
 鬼歓は声を張り上げた。夜の中の奥深くにその声は浸透していった。
「はい」
 練兵館の門弟の間から、返事が夜の中にあがり、黒い塊となって地表に落ちた。
 和三郎は傍にいる竜馬と九十九長太夫、吉井と水ノ助を見回した。みな黙って和三郎の眼(め)を見つめ返した。
 離れたところに佇む倉前秀之進や逸見弥平次の姿も、月明かりの中に見える。
「鬼歓は二年前、千葉栄次郎(えいじろう)と三番勝負をして、三本とも取られて負けたと聞いちょる。小天狗(こてんぐ)に力技は通用せざったのじゃ」
 不意に竜馬が呟くように囁いた。千葉栄次郎は千葉周作(しゆうさく)の倅(せがれ)である。今や、玄武館(げんぶかん)を背負って立っている。

プロフィール

高橋三千綱(たかはし・みちつな) 1948年1月大阪府生まれ。サンフランシスコ州立大学、早稲田大学中退。74年「退屈しのぎ」で第17回群像新人賞、78年「九月の空」で第79回芥川賞を受賞。青春小説や時代小説、またゴルフに関する著作も多数ある。著書に『お江戸の用心棒』『明日のブルドッグ』『空の剣 男谷精一郎の孤独』ほか多数。

既刊紹介

和三郎江戸修行 脱藩

和三郎江戸修行 脱藩 時は幕末。越前野山土屋家中はお家騒動の気配をはらんでいた。小身の家臣の三男坊・岡和三郎は、無駄飯食いの立場だったが、剣の腕には覚えがあった。ある日、藩重役から江戸での剣術修行を命じられる。しかも脱藩して密行せよ、と。大枚の路銀をせしめ、視覚に襲われるも旅立つのだった。修行人宿に泊まりつつ江戸を目指す東海道中、若き剣客を待ち受ける運命やいかに……。傑作時代小説シリーズ幕開き。

和三郎江戸修行 開眼

和三郎江戸修行 開眼 浜松城下で坂本竜馬と別れ、岡和三郎は幕末の東海道を一路、江戸に向かっていた。越前野山藩から命じられた脱藩密行での剣術修行。宇津谷峠の雨宿りで横井小楠と出くわし、酒を呑んではからみ半分のご高説をうかがいながらの道中となってします。若き剣客の心を時にはあたため、時には奮い立たせる出会いは、さらに彼を成長させていくのだった。傑作青春時代シリーズますます熱い第二弾。

和三郎江戸修行 愛憐

和三郎江戸修行 愛憐 四万三千石・土屋家の世嗣である直俊君を密かに護れ。それこそが和三郎に下された真の密命だった。それゆえに江戸でも敵に襲撃され、さらには父の因縁により格上の相手から果たし合いまで挑まれて、半死半生に追いやられてしまう。だが、許嫁の沙那や道中で出会った倉前秀之進、坂本竜馬など味方の存在が和三郎を生かし、剣を磨かせてゆく――。傑作青春時代シリーズ第三弾。

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