よみもの・連載

和三郎江戸修行 激烈

第一章 迎  撃

高橋三千綱Michitsuna Takahashi

「鬼歓、恐るるに足らん。ええか岡和三郎、生き抜け。どんな無様な格好でもえいき、勝て。真剣ならおんしの勝ちじゃき」
 竜馬の励ましの声が耳の奥に浸透してきた。
(その通りだ、真剣なら、勝つ)
 江戸に来るまでには、何度も修羅場に出食わした。待ち伏せにも遭った。忍者にも狙われた。山賊どもを箱根(はこね)の山寺で打ち倒した。刀が曲がるほど人を斬った。つい先ほどは大川平兵衛と真っ向から果たし合いをして勝った。
 道場剣術では得ることのできない血みどろの経験を積んだ。
 和三郎は静かに前に進んだ。思い浮かぶ言葉は、最早(もはや)、何もなかった。
 鬼歓が両足を八の字に開き、腰を落とした。長い木刀の切っ先は和三郎の眉間に向けられている。一刀流ではそれを平正眼(ひらせいがん)というが、念流では上段の構えとしている。
 一年前に武田道場で立ち合った念流の門弟は、右の拳を極端に突き出して、自らの中心線から二寸はずして構えた。それでいて竹刀(しない)の先が眉間をとらえてはずさないので、和三郎は進退きわまった状況に陥った。それは防御も完璧で、敵の不意を突いて真っ向から攻めてくる攻撃的な剣術であった。
 かろうじて勝ちを収めることができたのは、和三郎の正眼を崩して頭上に打ち込んできた相手の竹刀を、横にかざして受け、逆胴を叩き込むことができたからである。竹刀を横にかざして受けたのは初めての経験だった。その時点で一刀流の剣技は破られたと感じた。
 それから無念流について研究した。無念流にはいくつかの剣技があるが、その心得は「目付け」である。
 一刀流では敵の眼中に太刀先と教えられたが、それでも和三郎は相手への目付けを、自分なりに工夫を凝らして相手の左目に当てて稽古を積んだ。相手側からすれば、自分の右目に敵の切っ先が向けられていることになる。
 無念流の目付けの奥義は「観見(かんけん)の心持ち」であるという。「眼を瞬き、心に見る心」というもので、心が大事だといっている。
 それを聞いて武田道場の者は一笑にふしたが、和三郎は心を「目付け」と同等の「心付け」ととらえて、これは奥が深いと感心したことがある。
 いま、その無念流の「心付け」をさらに一歩進めた、斎藤派無念流の最強の後継者が眼前に佇んでいる。
 斎藤派の構えは、以前会った念流ほど極端な八の字はとらず、むしろ一刀流に近い足幅だった。それだけに不気味さが地鳴りをたてて押し寄せてくる。
「カーッ!」
 いきなり鬼歓の口から裂帛(れつぱく)の気合が吐き出された。雷が落ちたかと思った。和三郎はその激烈な気合をそっと吞(の)み込んだ。斎藤派神道無念流の「心付け」の一端を胃の中に納めたのである。少し落ち着いた。
 間合いは六尺五寸(約二メートル)に入った。互いの爪先がそれだけの間隔があるということなのである。そこが間合いの際(きわ)であることを和三郎は感じた。魔合いである。
 和三郎の木刀の長さは三尺八寸である。だが鬼歓の木刀は彼の大柄な体軀(たいく)に合わせたものか、それより一寸ほど長い。それだけ、鬼歓の間合いは広くとれる。先(せん)を取るのが和三郎より早くなり、有利になる。
 だが、勝負は駆け引きだけではない。胆力である。
 和三郎は丹田に気力を込めた。
 鬼歓がその遠い間合いから、ためらうことなく前進した。その巨木のような体の上に木刀の切っ先が掲げられた。それも一瞬だった。
 上段から振り下ろされた木刀は、和三郎の構えを崩すなり、鋭い突きとなって突進してきた。
 和三郎はそれより速く、敵の呼吸をとらえて水月めがけて打ち込んでいた。だが、切っ先がとらえたのは虚空だった。首筋に敵の切っ先がかすった。和三郎は体勢を崩して前のめりになった。
 間髪をいれず二の太刀がきた。かろうじて首をひねってよけた。鬼歓相手に剣術ができたのはそこまでだった。

プロフィール

高橋三千綱(たかはし・みちつな) 1948年1月大阪府生まれ。サンフランシスコ州立大学、早稲田大学中退。74年「退屈しのぎ」で第17回群像新人賞、78年「九月の空」で第79回芥川賞を受賞。青春小説や時代小説、またゴルフに関する著作も多数ある。著書に『お江戸の用心棒』『明日のブルドッグ』『空の剣 男谷精一郎の孤独』ほか多数。

既刊紹介

和三郎江戸修行 脱藩

和三郎江戸修行 脱藩 時は幕末。越前野山土屋家中はお家騒動の気配をはらんでいた。小身の家臣の三男坊・岡和三郎は、無駄飯食いの立場だったが、剣の腕には覚えがあった。ある日、藩重役から江戸での剣術修行を命じられる。しかも脱藩して密行せよ、と。大枚の路銀をせしめ、視覚に襲われるも旅立つのだった。修行人宿に泊まりつつ江戸を目指す東海道中、若き剣客を待ち受ける運命やいかに……。傑作時代小説シリーズ幕開き。

和三郎江戸修行 開眼

和三郎江戸修行 開眼 浜松城下で坂本竜馬と別れ、岡和三郎は幕末の東海道を一路、江戸に向かっていた。越前野山藩から命じられた脱藩密行での剣術修行。宇津谷峠の雨宿りで横井小楠と出くわし、酒を呑んではからみ半分のご高説をうかがいながらの道中となってします。若き剣客の心を時にはあたため、時には奮い立たせる出会いは、さらに彼を成長させていくのだった。傑作青春時代シリーズますます熱い第二弾。

和三郎江戸修行 愛憐

和三郎江戸修行 愛憐 四万三千石・土屋家の世嗣である直俊君を密かに護れ。それこそが和三郎に下された真の密命だった。それゆえに江戸でも敵に襲撃され、さらには父の因縁により格上の相手から果たし合いまで挑まれて、半死半生に追いやられてしまう。だが、許嫁の沙那や道中で出会った倉前秀之進、坂本竜馬など味方の存在が和三郎を生かし、剣を磨かせてゆく――。傑作青春時代シリーズ第三弾。

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