よみもの・連載

和三郎江戸修行 激烈

第一章 迎  撃

高橋三千綱Michitsuna Takahashi

 鬼歓の木刀の柄尻が、真上から落ちてきて和三郎の脳天を砕いた。そのまま尻餅をついた。腰骨が太く重たい鉄柱で打ち抜かれたようだった。
 突風のような木刀が頭上に降りかかってきた。たまらず和三郎は横転した。そうしながら、
(これは駄目だ。まるで歯が立たない)
 胸が悲鳴をあげた。
 ぐさりと耳元で土を掘る音がした。鬼歓の木刀は的確に敵の動きをとらえていた。しかもわずかの容赦もない。
 和三郎はただただ横転した。手にしていたはずの木刀はすでに指から離れている。真上に、月を背にした巨大な人影が立ち塞がってきた。
(南無!)
 無意識に和三郎の左腕が伸び、斬られた侍が落とした剣を摑んだ。
 八文字の腰を割った足さばきから、敵の剛剣が振り下ろされた。
 その刹那、和三郎は反転して左腕を返した。切っ先が敵の陰茎から左足の股にかけて走った。
 眼前にあった巨体が、巨木が倒れるように地に落ちた。
 激痛が右腕に走った。ほぼ同時に鬼歓の木刀が和三郎の右腕を打ち砕いていたのである。
「岡、和三郎、無事か、死ぬな!」
 そう叫ぶ子供の声が夜空にこだました。
 大地に倒れている和三郎の胸に細い体がすがってきた。
「直俊君……」
 和三郎は右腕で少年を抱きかかえようとした。だが腕も体ももう動かなくなっていた。
「生きておるのか和三郎。死ぬな、死ぬな」
 涙声が響いた。周囲は静寂に染まっている。和三郎は指先で少年の頰に伝った涙を拭った。
「大丈夫です、直俊君。和三郎は死にません」
 和三郎は剣先を地面に立て、なんとか起き上がろうと歯を食いしばった。だが体は粉々になって、その骨は地面にばら撒かれたようになっている。
「岡和三郎、わらわは直俊君ではない。あの者がいった通り影武者じゃ。わらわのために死んではならん」
 少年が和三郎の胸にすがって嗚咽(おえつ)した。和三郎は夜空を仰いで呟いた。
「あなたは直俊君です。かけがえのないお方なのです」
 うらも影武者だ、と和三郎は思った。胸を揺する小さな手がいとおしかった。しかし、もう自分に残された力はないと自嘲していた。悔しさも湧かなかった。
「岡和三郎、よくやった。見事じゃった」
 黒い影がすぐ傍に蹲(うずくま)った。竜馬の頑丈な肉体が、ボロ屑(くず)の上体を起き上がらせてくれた。和三郎は必死で剣の切っ先を地面に突き立てた。
 それから両膝で這った。そこに鬼歓の姿があった。
「斎藤様、参りました」
 最早使い物にならなくなった右腕の痛みをこらえて、和三郎は片膝をついている鬼歓の前に片手をついた。その周囲に門弟らしい侍が五、六名、身構えて刀の鍔元に指をかけている。すでに抜刀している者もいた。
「いや、負けたのは私だ。肩を貸してくれぬか」
 門弟のひとりが鬼歓の前に蹲(つくば)って肩を差し出した。しかし鬼歓がとらえたのは和三郎の肩だった。鬼歓の大きな掌が肩を摑んだ。
 だが、和三郎は立ち上がることもできず、ただ歯を食いしばって、体中を走る激痛をこらえていた。

プロフィール

高橋三千綱(たかはし・みちつな) 1948年1月大阪府生まれ。サンフランシスコ州立大学、早稲田大学中退。74年「退屈しのぎ」で第17回群像新人賞、78年「九月の空」で第79回芥川賞を受賞。青春小説や時代小説、またゴルフに関する著作も多数ある。著書に『お江戸の用心棒』『明日のブルドッグ』『空の剣 男谷精一郎の孤独』ほか多数。

既刊紹介

和三郎江戸修行 脱藩

和三郎江戸修行 脱藩 時は幕末。越前野山土屋家中はお家騒動の気配をはらんでいた。小身の家臣の三男坊・岡和三郎は、無駄飯食いの立場だったが、剣の腕には覚えがあった。ある日、藩重役から江戸での剣術修行を命じられる。しかも脱藩して密行せよ、と。大枚の路銀をせしめ、視覚に襲われるも旅立つのだった。修行人宿に泊まりつつ江戸を目指す東海道中、若き剣客を待ち受ける運命やいかに……。傑作時代小説シリーズ幕開き。

和三郎江戸修行 開眼

和三郎江戸修行 開眼 浜松城下で坂本竜馬と別れ、岡和三郎は幕末の東海道を一路、江戸に向かっていた。越前野山藩から命じられた脱藩密行での剣術修行。宇津谷峠の雨宿りで横井小楠と出くわし、酒を呑んではからみ半分のご高説をうかがいながらの道中となってします。若き剣客の心を時にはあたため、時には奮い立たせる出会いは、さらに彼を成長させていくのだった。傑作青春時代シリーズますます熱い第二弾。

和三郎江戸修行 愛憐

和三郎江戸修行 愛憐 四万三千石・土屋家の世嗣である直俊君を密かに護れ。それこそが和三郎に下された真の密命だった。それゆえに江戸でも敵に襲撃され、さらには父の因縁により格上の相手から果たし合いまで挑まれて、半死半生に追いやられてしまう。だが、許嫁の沙那や道中で出会った倉前秀之進、坂本竜馬など味方の存在が和三郎を生かし、剣を磨かせてゆく――。傑作青春時代シリーズ第三弾。

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