よみもの・連載

和三郎江戸修行 激烈

第一章 迎  撃

高橋三千綱Michitsuna Takahashi

 起き上がると鬼歓は周囲にいる門弟たちを見下ろした。それから土屋家の侍の待つ暗い彼方に足を引きずって歩きだした。
「歓之助様」
「やつは真剣を取りました。卑怯なやつです」
「我らが斬ります」
 そう門弟たちが口々に喚いた。
「ならぬ。尋常なる試合に復讐など無用」
 鬼歓の鋭いその一言で、門弟たちは押し黙った。叫び声があがったのはその後である。
「おのおの方、何をしておるのじゃ。今じゃ、敵を討つのじゃ。四千両を奪い返すのじゃ」
 それまで闇の底で潜んでいた田川源三郎が、家臣を押しのけて飛び出してくるなり、剣を高く掲げて奇声をあげた。
 浪人たちの一部の者の影が動いた。だが、他の袴をつけた家臣に、田川の命令を聞く様子はなくなっていた。
「何をためらっておるのじゃ。直俊と称するわっぱの首をはねるのじゃ。やつは本物の若様ではない。影武者じゃ。首を斬って四千両を取り戻すのじゃ」
 自軍に向かって鼓舞を振るった。その田川源三郎の前に片足をひきずって進み出たのは、斎藤歓之助であった。
 夜目にも鮮やかな突きが田川源三郎の喉を襲った。
 白刃を月に向けて高く掲げていた田川の体は、黒い影となって二間も後ろに飛び退(すさ)ると、音も立たてずに落下し、ボロ屑のように地面に散った。
「これで始末がついた。我らは退却する。まだ襲ってくる者があれば、大砲をぶちかましてやるがよい。岡和三郎か。生涯忘れぬぞ。この借りはきっといつか返す」
 鬼歓はそういって笑った。白い歯が暗闇の中で光った。
 片足を引き摺(ず)った鬼歓の姿が門弟たちと共に暗闇に消えていくと、残った者たちも幽霊のようになって去り出した。倒れている浪人たちも、生きている者は同じ浪人から肩を抱かれ、死んでいる者は小者(こもの)に運び出された。夜の川から倦(う)んだような霧が斜めに伸びてきて野原を覆った。
 全ての浪人たちの姿がなくなると、暗い地面に血反吐(ちへど)を吹いて倒れている一人の老人の姿が取り残された。
 まるで吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)だなと和三郎は思った。いっときは気高さを抱いた者のはずだが、それは愚かな夢と、権力復権の欲望ために死に華となって潰(つい)えた。
 右腕を失った和三郎の目に映ったのは、煙のような薄雲がかかっている丸くて涙ぐんだような淡い月だった。

プロフィール

高橋三千綱(たかはし・みちつな) 1948年1月大阪府生まれ。サンフランシスコ州立大学、早稲田大学中退。74年「退屈しのぎ」で第17回群像新人賞、78年「九月の空」で第79回芥川賞を受賞。青春小説や時代小説、またゴルフに関する著作も多数ある。著書に『お江戸の用心棒』『明日のブルドッグ』『空の剣 男谷精一郎の孤独』ほか多数。

既刊紹介

和三郎江戸修行 脱藩

和三郎江戸修行 脱藩 時は幕末。越前野山土屋家中はお家騒動の気配をはらんでいた。小身の家臣の三男坊・岡和三郎は、無駄飯食いの立場だったが、剣の腕には覚えがあった。ある日、藩重役から江戸での剣術修行を命じられる。しかも脱藩して密行せよ、と。大枚の路銀をせしめ、視覚に襲われるも旅立つのだった。修行人宿に泊まりつつ江戸を目指す東海道中、若き剣客を待ち受ける運命やいかに……。傑作時代小説シリーズ幕開き。

和三郎江戸修行 開眼

和三郎江戸修行 開眼 浜松城下で坂本竜馬と別れ、岡和三郎は幕末の東海道を一路、江戸に向かっていた。越前野山藩から命じられた脱藩密行での剣術修行。宇津谷峠の雨宿りで横井小楠と出くわし、酒を呑んではからみ半分のご高説をうかがいながらの道中となってします。若き剣客の心を時にはあたため、時には奮い立たせる出会いは、さらに彼を成長させていくのだった。傑作青春時代シリーズますます熱い第二弾。

和三郎江戸修行 愛憐

和三郎江戸修行 愛憐 四万三千石・土屋家の世嗣である直俊君を密かに護れ。それこそが和三郎に下された真の密命だった。それゆえに江戸でも敵に襲撃され、さらには父の因縁により格上の相手から果たし合いまで挑まれて、半死半生に追いやられてしまう。だが、許嫁の沙那や道中で出会った倉前秀之進、坂本竜馬など味方の存在が和三郎を生かし、剣を磨かせてゆく――。傑作青春時代シリーズ第三弾。

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