よみもの・連載

和三郎江戸修行 激烈

第三章 江戸見物

高橋三千綱Michitsuna Takahashi



 盥(たらい)に着ていた着物を全て脱ぎ捨てると、井戸端にいって荒縄で体をゴシゴシと洗った。しばらく擦(こす)ると皮膚が血を滲(にじ)ませたように赤くなった。それから褌(ふんどし)を取ると、今度はばかに丁寧に下腹を洗い出した。
(ここは鍛えてはイカンところじゃ)
 そう呟(つぶや)きながら陰茎を洗っている。
 洗い終わって晩秋の日差しの中に裸をさらした。雪駄(せつた)を履いて道場に戻りかけると、台所口から出てきたうねと顔を合わせた。
「わっ」
 と喚(わめ)いてうねはひっくり返った。太くたくましい太腿(ふともも)が裾の短い仕事着から覗(のぞ)いた。
「どうした? 珍しいものでもあるまい」
 男ばかりの道場でもう一人の下女と働くうねは、男の裸など見慣れているはずである。
「おい、うね、新しい下帯を出してくれ。飯を食ったら下屋敷に行って直俊君(ぎみ)のご機嫌を伺ってくる」
 和三郎は部屋に戻ってうねが持ってきた新品の下帯をつけた。江戸でも新しい下着は盆と暮れに替えるだけだと聞いている。国許(くにもと)の土屋家の家来はもっと貧しかった。
 着物をつけて帯を締めると、つい先ほど人を五人も斬ったことが噓(うそ)のように清々した。
「今日は沙那さんはこんのか」
 着流し姿になった和三郎を、うるんだような目で見上げてうねはそう聞いた。
「どうであろうな。どうも舩松町の家とは勝手が違って、ここは落ち着かぬようじゃ。それに沙那さんは土屋家に雇われているお方だ」
「もう違うと沙那さんはいっていたぞ」
 どうも漁師の娘の言葉遣いには馴染(なじ)めないと思いながら、それはどういうことだ、と和三郎は聞いた。
「沙那さんは土屋家からは一銭も給金をもらっていねえそうだ。国に帰れば婿取りさせられるので、それがいやなそうだ。江戸にいるのは直俊君のお世話をするためだ」
「よく知っているな」
「なんでも知っているだよ。沙那さんの兄さまが江戸へくる山の中で、刺客の待ち伏せにおうて殺されたことも、沙那さんが仇討(かたきう)ちにきたことも、和三郎さんがその介添え役だということも、その刺客はもう殺されていることも、なんでも知っているだ」
 うねは少し得意気に丸い鼻をうごめかせた。
「ほう、沙那殿から聞いたのか」
「いや、沙那さんは何もいわねえども、沙那さんが知らねえこともおらは知っているよ。和三郎さんの筆入れの中に百両ばかりの銭が入っていることも知っているだ。もっとしっかり隠しておかなきゃ盗まれちまうだ」
「なに、盗まれたら脅して倍にして返させればいいんじゃ。うらの本業は恐喝屋だからな」
「ひえっ」
 うねはタドンのような顔を歪(ゆが)めて驚いている。
「飯はすぐに用意できるか」
「広島藩の人が大方食っちまったよ。五升くらいペロリじゃ」
「そうか」
 和三郎はちょっとの間思案した。うねはどこか不満気な様子でいる。

プロフィール

高橋三千綱(たかはし・みちつな) 1948年1月大阪府生まれ。サンフランシスコ州立大学、早稲田大学中退。74年「退屈しのぎ」で第17回群像新人賞、78年「九月の空」で第79回芥川賞を受賞。青春小説や時代小説、またゴルフに関する著作も多数ある。著書に『お江戸の用心棒』『明日のブルドッグ』『空の剣 男谷精一郎の孤独』ほか多数。

既刊紹介

和三郎江戸修行 脱藩

和三郎江戸修行 脱藩 時は幕末。越前野山土屋家中はお家騒動の気配をはらんでいた。小身の家臣の三男坊・岡和三郎は、無駄飯食いの立場だったが、剣の腕には覚えがあった。ある日、藩重役から江戸での剣術修行を命じられる。しかも脱藩して密行せよ、と。大枚の路銀をせしめ、視覚に襲われるも旅立つのだった。修行人宿に泊まりつつ江戸を目指す東海道中、若き剣客を待ち受ける運命やいかに……。傑作時代小説シリーズ幕開き。

和三郎江戸修行 開眼

和三郎江戸修行 開眼 浜松城下で坂本竜馬と別れ、岡和三郎は幕末の東海道を一路、江戸に向かっていた。越前野山藩から命じられた脱藩密行での剣術修行。宇津谷峠の雨宿りで横井小楠と出くわし、酒を呑んではからみ半分のご高説をうかがいながらの道中となってします。若き剣客の心を時にはあたため、時には奮い立たせる出会いは、さらに彼を成長させていくのだった。傑作青春時代シリーズますます熱い第二弾。

和三郎江戸修行 愛憐

和三郎江戸修行 愛憐 四万三千石・土屋家の世嗣である直俊君を密かに護れ。それこそが和三郎に下された真の密命だった。それゆえに江戸でも敵に襲撃され、さらには父の因縁により格上の相手から果たし合いまで挑まれて、半死半生に追いやられてしまう。だが、許嫁の沙那や道中で出会った倉前秀之進、坂本竜馬など味方の存在が和三郎を生かし、剣を磨かせてゆく――。傑作青春時代シリーズ第三弾。

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